寝られないのでうだうだと

 産経のリンクを利用したのでいろいろネット捜索をしていた。産経は実は娯楽紙として好きな新聞であった。スポーツ新聞よりは上品だが、横丁の頑固オヤジの説教がフジテレビのセックス・スポーツ・スクリーンの3S政策そのものの堕落文化とのヘンな融合がまた奇妙な取り合わせで、内容を本気にしなければ楽しめるものだったと記憶している。ただ、販売しているところが少なくて、結構好みの記事と購入紙がうまくマッチングしないことが多く、メタルスライムに出会うようなドキドキ感もあった。
 それがなぜこんなやたら大きな音を鳴らす空樽になってしまったのかよくわかんない。購入に苦労するほどだから売れてなかったと思うのだが、こうもあっさりと権力側の広報誌に成り下がるとは思っていなかった。横丁の頑固オヤジの意見なんて、他人として聞いている分には威勢がよくてスカッともするが、実際に相手するのは大変というか、実際に管理を任せると好き放題やって大変だろう?というのは当時から思っていたことではある。娯楽と説教のコラボ。それが産経のポジションだったような気がするのだが。
 やっぱ森元首相の頃なんかねぇ?。早稲田のそれも二部に推薦で入った町長の世襲のボンボンで、入学間もなく推薦理由のラグビー部を辞めるという事態になる。普通ラグビー推薦で入ったのなら、ラグビーを辞めたら学校も辞めるべきと思うんだが、どうなんだろう?。おおらかな時代で、私立といえば裏口入学が横行していたから、そんなに目くじらを立てる必要もないのだと思うが。その彼が入社したのが産経で、彼の首相就任時より産経のターンが始まったのかな?と思ってしまう。
 その産経お抱えの作家が三浦朱門曽野綾子夫妻、石原晋太郎というガチガチの捏造右翼というのが、もうどこからツッコんでいいのやら。曽野綾子は「夜明けの新聞の匂い」を就職間もない頃に読んだのだが、このころはまだ右翼という感じはせず、自分自身の行動に疑問を感じながらのエッセイだったような気がするので、何が彼女を権力に擦り寄らせたのか?とも思う。でも年表ではすでにこれ以前から沖縄批判の文章は書いていたらしい。同時代作家でいえば、三浦綾子有吉佐和子の作品のほうがよほど有名で、恍惚の人やら複合汚染のほうがよっぽど社会性がある。三浦朱門に至っては、受賞作ですら知名度が低いもので、売れない作家が文章ではなくおべんちゃらで権力者に取り入ったんだろうか?とヘンに勘繰ってしまう。
 さて、産経が沖縄問題では軍関与がなかったことにしたがっているが、なんで権力層の都合がよいように歴史を修正しようとするんだろうか?。もともと日本軍バンザイの傾向が強かった新聞ではあるが、そもそも軍の司令がわざわざ後世に残るように住民に自決せよといった命令書を書くはずがないと思う。ずっと前に特攻隊の話を書いたが、軍隊が自分の兵隊にすら「死ね」という命令を下す事はできないわけだ。もしそういう命令書が書かれたとしたら、軍法会議モノだし、実際に特攻隊は志願制だし、そういう命令書があったら特攻隊の遺族から訴訟を起こされていたはずである。あれは特攻隊員が死なせてくれと言ったから、軍としては「しかたなく」許可・準備をいやいやしたという格好になっているわけだ。その志願制も基本は志願しなければ非国民であるという空気を作り出し、志願しなければ徹底的にイジメが行われたというのは公然のことである。しかも対象者は判断力の未熟な若者ばかり。
 だから命令自身はあくまで末端の将校なり下士官が証拠が残らないよう口頭でなされたと考えるのが自然である。手榴弾を二個渡すというのもすごく危ない。一応タテマエではあったが、戦争は兵隊同士で戦うものであり、民間人は普通攻撃の対象としてはならないのが通例である。しかし、武器をもった人間相手なら、それはすなわち兵隊なり軍隊なりという判断をしてよいということになり、さらに民間人の服を着ていても手榴弾を投げるなりの攻撃動作をしようもんならそれはすなわち「戦闘行為」とみなされるわけで、即効敵軍の攻撃の対象となっても仕方がないということになる。つまり、手榴弾を投げて敵を殺せと末端の兵士が民間人にいった時点で、それは守るべき民間人を日本軍が自分の楯にしたということになってしまう。本土でも竹槍で上陸するであろう米兵の撃退訓練をしていたわけなんだが、万が一本当に上陸作戦があって、民間人が竹槍を持って米軍に突撃しようもんなら、その民間人は殺害されても当然という扱いになる。竹槍でツッコんでくる民間人に本気で米兵が相手をしたであろうかどうかは疑問だが。
 まぁ長距離爆撃機の航続距離からいえば既に沖縄が占領されていようといまいと日本全土が戦略爆撃圏内に入っていたわけなんだけど、それでも外から順に攻めてくるんではなくて、いきなり台湾を飛び越えて沖縄に殺到した米軍に対する恐怖は凄まじかったんだと思う。台湾は維新後の殖民地であり、沖縄は日本固有の領土という歴史なんで、台湾防衛のために一軍を引き抜かれて手薄にされ、で米軍は台湾を素通りして沖縄に攻めてきたわけなんで、日本軍の読み間違いの愚かさ、住民まで駆り出しての米軍攻撃、そして効果的に援軍を送ってこない大本営終戦後本土に遅れること数十年後にようやっと本土復帰、でも米軍による占領状態が続くとなりゃ、沖縄の人の使い捨てられ感は想像を絶するものがあるだろう。日本軍自身が沖縄人を邪魔だとかスパイ容疑とかで誤射どころか悪意を持って殺害している例もあるしな。
 そしてこれは最近司法腐敗による加害者保護の風潮でも強化されている。加害者の人権を保護→被害者の軽視→被害者は既に死んでいることが多い→遺族は実際の被害者ではない→加害者にとっては被害者当人からの非難・仕返しはない→加害者は死人に口なしをいいことに有利な発言を繰り返す→加害者の社会復帰の盛り上げ→被害者にもスキはあった→被害者にもやられるようなことをしたんではないか→被害者にも悪いところはある→被害にあうほうが悪い(詐欺にダまされるほうが悪いという論法)→悪いのは被害者→加害者は悪くない…という風に書き換えられていく。あっという間にというか、時間が経過して記憶が風化した頃を見計らって捏造。被害者と加害者の逆転。イジめるほうが悪いんじゃない、イジめられるほうが悪いんだという論法。なんかお話になんないねぇ。そのデタラメを産経がテコ入れ。教科書検定審議会に産経・つくる会関係者が入っているなどヤラセも満載。
 なんでこんな国になったんかねぇ?。