幕末機関説 いろはにほへと 第20話 波浪ありて

 耀次郎悩むの巻。
 色々な視点があって面白かった。
 まず覇者の首なのだが、欲望の象徴と考えてはいたのだが、ここらへんに来てどうもちょっと違っているのでは?と思っている。引き寄せられているのは欲望に任せて権力を振り回す側(勝や西郷も惑わされる描写があった)というよりは、立場をなくして追い詰められたものの数のほうが多いんだよね。そして日本の主流となっている側に覇者の首が寄り添っているのではなく、破滅していく側に取り憑いているという結果になっている。かといってそれを封印する耀次郎はどう考えても権力者の側ではないわけで、幕末機関説の機関の意味も合わせて脚本の狙いが私にはわからなくなってきました。
 もう一つは庶民の立場。漁師のおっかさんなんだが、戦火の直接の被害には遭っていないものの、戦争という激動に振り回されたかわいそうな庶民という描き方ではなかった。今回は耀次郎が自分が背負っている運命を盲信して、意味について考えることが無かった今までを乗り越えるというミッションが与えられていたので、そこらへん割り引いて考えなければならないわけなんだが、それにしても海という一人の人間が立ち向かえるものでもない大きな対象は、時代の大きな流れに対応しており、それに庶民としてどう立ち向かう(乗りこなす?)べきか?。という視点はあったと思う。
 それは時代の流れは変えようもないから流されるまゝ流されて抵抗するなというものでもなく、かといって無謀に立ち向かうべきというものでもなかった。まぁ今回は「知る」という答えがあからさまに示されていたわけで、ここでうだうだ解説をすべくも無い。ただ、男を挙げると言って蝦夷共和国側に参加していたおっちゃんを尾羽打ち枯らして帰還させたからには、そういう功名心を否定していることは間違いないわけで、庶民の生活を無視して繰り広げられる権力争いへの冷ややかな目はあるんだと思う。そしてそれに取り込まれるなというメッセージはあるんじゃないかな?。特に榎本の描写はただひたすらにわれを信じよと言っているだけで(そして結果的にすべてが破滅する)、それはやはり小泉改革の主張と重なるところがあると私は感じている。