ARIA The ANIMATION 第12話「その やわらかな願いは…」

 それっぽい男の子の登場でようやく橋の向こうの登場人物がキャラクターのプロトタイプと気付く。
 OP、EDに変化がありました。OPはどこの言葉かと思ったのですが、スキャットなんですよね?。話自体は今話のように水が少しずつ押し寄せてくるような構成。ほっとするような落ち着く話からじわじわと盛り上げて抑制の効いた感動へとつながります。吉田玲子の手堅い仕事を見せていただいたということで。
 ウッドデッキというあたりアメリカをイメージしたのですが、開拓期を髣髴させる記号としては妥当かな。橋を目にしたときも、私の胸に去来したのは「マディソン郡の橋?」でしたし。まぁウッドデッキはアメリカの専売ではありませんが。しかしそうなるとなぜにイタリア語?という脈絡がわからないところ。プロトタイプたちも捨てキャラなのに徹底的に“あ”で始まります。しかしアテナのプロトタイプは年喰ってんな!ということで。言うまでもないとは思うのですが、星野明子@浅田葉子*1は灯里のプロトタイプだと私は終盤になってようやく気がつきましたよ。作中であんなに良く似ているとか言っていたのに…。
 結構過去つながりの話が多いのですが、「今自分がいるのは過去のいろいろな人の取り組みや思いの積み重ねがあってこそ」というのがじんわり伝わってきます。最近の日本は日本人自身がハゲタカ外資の真似事をして、そういう過去の積み重ねの破壊を繰り返しているだけに切なさこれ万感の思いなわけですが。いや、日本って太古の昔からそういう国でしたけどね。
 あと、今回の話といい、グランマの話といい、自分のことは自分でやろうとする描写が気になります。よほどのお坊ちゃんお嬢ちゃんじゃない限り、日本の農業がまだ産業として成り立っていた頃、まぁ50年ぐらい遡ればだいたい大多数の人間が共有できていたことなんですけどね。現代の先進国のだいたいの人は、あまりに社会が高度に分業化されすぎていて、いやそうだからこそ効率的に財が生産されお互いを支えあっているはずなのに、それがほとんど見えなくなってしまっているのが萎えるんですよね。自分のやっていることは人には理解されなくて、当然人のやっていることを類推する能力が衰えてしまっていて、自分の欲望を追及することが他人を傷つけてしまうことに気が付かない人が増えているような気がします。だからこそ製作者がこの作品を取り上げたり、「ヒーリング」を掲げるのもなんとなくわかるような気もするんですよ。
 … 恥 ず か し い 台 詞 禁 止 ? 。
 次回は最終回ですよね?。なんだか総集編のような予感がするのですが。そうなると今話が実質的な最終回だったんだろうか?。

*1:灯里との二人一役だとすぐにバレるから、声当ては変えたんですよね?。