LAST EXILE 第26話

 初回に視聴した当時はこのラストの意味が全然わかんなかったんだよな。エグザイルが変形して、え?それがどーしたのって感じ。でもなんらかの意味づけをするんだったら、やはり政治批判だったんだなと思わざるを得ない。ギルドが圧政を敷いていて、それをアナトレイ・デュシスの血を流しての闘争があって平和を獲得しただけでなく、ギルドという特権階級も排除できましたよってね。エグザイルはギルドによる抑圧装置だったのが、ギルドがなくなったら変形して天候まで変わったわけで、それは平和利用しましたってことなんじゃないのかな。普通政治が劇的に良好になっても変化自体はスグにはあらわれないんで、その良くなりましたってのを空が晴れるだとか、四季の風景を見せて表現したと。
 しかしビックリしたのが、アレックスもろともデルフィーネ艦を吹っ飛ばしたのがソフィア皇帝だったとはね。全然覚えてなかったよ。ウィナが気を利かして艦長の最后の言葉はソフィアだったというのも記憶にない。でもソフィアがウィナがウソをいってるんだろうなということで、その気遣いに感謝しているんだろうなということは当時はわかっていなかったはず。
 ディーオも自分は初回見たときにはウザいだけだったけど、今となってはなぜ人気があるのかわかる。ディーオが記憶を取り戻すシーンも当時はとんちんかんな見方をしてた。狂ったまゝと思ってたんだよね。おそらくディーオは後部座席に誰もいないのを見て泣く場面では、ルシオラが自分のために死んだことを知らなかったんだよね。
 自分でも意外だったのが、第1話か2話あたりで述べた、「見せたいシーンがまずあって、次にそのための状況作り、ストーリーラインはそれを優先にして後から作られてるんじゃね?」というのが終盤全く感じられなかったこと。終盤でそういう批判がされていて、自分も当時はそれを強く感じていたんだけど、こうやって今視聴してみるとあのときの自分はなんだったんだ?と思うぐらいだ。銀ファムでは何度も念押しをされていたけど、ラスエグはそれほど世界は全員が生きていくには狭すぎるという説明がしつこくされたわけでもない。だから初回は両者がなんで戦っているのか気にせず視聴していたはず。
 しかしなんだね、銀ファムって、このラスエグの数年後って設定だった気がするんだが、エグザイルが移民船であって、環境の激変で地球外に逃れていたのが帰還した後の世界が銀ファムだろ?。なんか時間的にそういうのムリなような気がするんだが。タチアナが艦長なのはわかるにせよ、クラウスが元気に飛んでたから、銀ファムでなんか怪我かなんかで飛べなくなったのはどういう事故が短い間に起こったんだろ?なんて気にしてた。やっぱ銀ファムはラスエグの世界観を拝借してはいるが、ラスエグとは全く別物という設定にしたほうがよかったんじゃ?。
 なんか比較してしまうと、最初の数話は、銀ファムのほうがきらびやかで目を惹くんだけど、その数話を過ぎると話はラスエグのほうが良い。もちろん全体を通してもラスエグのほうが良かった。でもラスエグの続編ってのは極めて作りにくいよね。人と人との繋がりが丁寧に積み重ねられているのに目を見張る。銀ファムはもうちょっと散発的にエピソードを組み合わせるだけなんで、どうしても底が浅いと今となって感じるね。いや、銀ファムも個人の苦悩とかうまく描けていることも多いんだけど、メインキャラ以外は重層的な積み重ねがないのでラスエグに軍配が上がる。
 っつーわけで、こうやって見直したのは収穫が多かった。これで銀ファムは良かったが、ラスエグはそれに劣るなんてとんちんかんなことを言わずに済む。何度か見返すのも悪くないねぇ。