ガールズバンドクライ#13

 タイバン蹴ってステージシーン、俺たたEND。主人公と対立してたライバルバンドの元同級生、主人公をいじめた側かと思ってたら、むしろ主人公に助け舟を出してたという過去話。せっかく売れるきっかけをマネジャーが作ってくれたというのにそれを蹴ってしまったので、そのけじめをつけるためにやめることにもなって、本人たちはやる気満々だけど、前途は多難だよな。まぁそういう流れだけど、本当にやめたのかどうかは怪しいというか、これで最終回なんでそれを気にしても仕方がないという。
 最終回としては展開としての激しさに頼らないで盛り上げていたのがどうにも舌を巻く構成というか、物腰は穏やかでも内に秘めたものは熱くって、その感情が各キャラを巡り巡って視聴者にも伝わるというのがなかなかにしてよかったよ…。
 というわけで決して成功したという形では終わってはないんだけども、なんとなく爽やかに終わったという印象。前にも言ったけど、旅こそしないものの、青春ロードムービーっぽい雰囲気があって、主人公こそ終盤で親と和解して生活基盤がはっきりしたけど、カネ持ち以外の他のメンバーは根無し草っぽい感じなので、まぁ人生こそ旅という風情もある。この作品の場合、確かに今ドキのアニメによくある、できるだけストレス要素を取り除く工程は省いていないんだけど、主人公を筆頭として鬱屈した気持ちをそのまま塊で視聴者に投げつけてくるので、物語としてのパワーがものすごい。
 こう客寄せ要素としてガールズバンドを流行に沿って持ってきたわけで、そのへん冷めた見方をしてみれば、主人公は自身の抱えている鬱屈を音楽を発信することで晴らそうとするわけなんだけど、いちおう主人公と聴衆との共感性はとってはいるものの、枠組み的にルサンチマンを解消したり、自分が出世するために音楽を利用するというのはどうにも筋が違って見える。バンドマンに主人公のようなのがいないわけではないのだろうけど、基本メジャーに出てるアーティストは、もう今となっては幼少時から音楽に関する英才教育を受けて、ドシロートが参入する余地はほぼないというか、割と年の若いころから音楽で食っていくという覚悟を決めてちゃんとレールに乗ってる人が大半なんで、ファンタジーもファンタジーではあるんだけども、なんだろうな?、個人的には最初っからこの作品はそういう部分はファンタジーですよというのを明確にしてきてるという印象があるので、これは絵空事ですよという認識で最初っから視聴してたような気はする。その点ぼくあめと同じように楽しめたというか、こちらは花田十輝、ぼくあめは高山カツヒコだけど、おそらく年齢が似通っていると思うんで、成熟したシナリオライターの本領発揮といった趣があった。今期ガールズバンドものとしてヨルクラと競ってたような形になってたが、あちらがダメってことはないんだけど、こちらの方が個人的にはどっしりと訴えかけるものがあって軍配が上がるなぁ。

おーいトンボ#13

 島を出るところまでやって、2期に続くよEND。これも最後の盛り上がりはひとしおだった。まぁ島にいるうちは物語は動いてないだろ…本番はこれからと思っていたから続編に意外性はないけど、ただ、人間ドラマとしてこの時点でちゃんと形となっているので続編がなかったとしてもそれはそれで納得といった感じではあった。
 しかし感覚に頼っている主人公がゴルフのスイングを少年に教えるその説明が具体的でワロタ。説明も感覚で、他者に伝わらないような展開なんだろうなと思ってたからもうね…。
 今回他にも山場がいくつもあって、恋愛話も前回でケリがついてたのではなくワンクッションおいて今回でHEにはなったし、主人公の祖父が前もって主人公に覚悟を決めさせるセリフを用意してたのに、別れの際で…にはまぁなんというか、ちょっとね。ダメだというワケではないんだけど、こうするのが正解なんですよという説教臭さがあって、すべてを言語化しないと今ドキの作品はダメなのかな…とかどうにも時代の変化を寂しく思ってしまう。作品自体の寿命が短くなってしまっているというか、もう読み捨てというか使い捨て御免の世情になっているんだろうなとは思うんだけども、ストレスを感じさせることでもうそこで読むのを中断みたいなことが起こってしまって、極力ストレス要素を取り除くようになっているし、理解不能なことがあってもそれで作品自体を忌避されてしまうからと分かりやすさ重視になっているんだろう。自分にいわせりゃそういう構成はエクスキューズ性が強いというか、言い訳じみてしまって物語としての押しが弱く感じてしまうんだよね。自分、もうマジック自体をみることはなくなってしまったけど、あれは種があってもそれを明かさないからいつまでも不思議に思って何度見ても楽しめるけど、一度種明かしをしてしまったら、種明かしの時点でそれは確かに興味を惹くけど、もう次からそのマジックは見なくなると思うんだよ…。なので、これは自分の認識不足だけなのかもしれないが、今日本で生き残ってるマジックは、マジック単体で楽しむものは絶滅してしまって、マギー司郎のようにマジックと話術のコンビネーションでお笑いの分野で生き残ってる印象がある。個人的にはこういうテキスト部分から文学性がどんどん失われてしまっていくのが惜しい気はするな…。
 まぁそんなわけで、元々が説明要素がふんだんな作品だし、そういうのを差し置いても面白かったし、不思議なようだが、この作品の行間に込められているのは決して分かりやすい教育マンセー…ではないんだよね。いやだって、まぁフィクションではあるけど、主人公は超絶的なゴルフテクは他人に教えてもらって身につけた…という形をほぼとってないもんな。しかも、大人が彼女に課題を与えるときも、こうこうこうやって攻略するんだよと教えて、その教えた通りにやらせるんじゃなく、あくまで主人公に丸投げして自分で考えさせるという形をとっている。そのへん視聴者にはわかりやすさを、主人公は自己解決力をと矛盾した構成なんだけど、まぁフツーに考えて原作者も意図的にそうしてるでしょってなもんで…。