砂糖林檎#2
旅の道中でいろいろと…の巻。昔話のフォーマットを使っていながら、やはり現代の日本社会のことも織り込んでるんだよなーというものがちらほらと。戦闘妖精がなにかにつけ命令しろといってるのも、これ、典型的なパワハラ対策にしか思え無くて、こうよく見る、仕事をどうやって進めたらいいのか上司に相談しに行ったら「自分で考えろ」、そして自分で考えて処理したら何が気に入らないのか「どうして相談しに来なかった」のダブスタパワハラ上司のためにああするしかないんだよな。仕事をするにあたってすべて上司の決裁を通して、その結果はあくまで上司の命令に沿ったものだからその結果も上司が負うべき…ということを「最初っから」とるということ。特に信頼関係が醸成されてない相手にはこういう対処を取るしかなくって、ヘンに気を利かせて処理すると、それがあたりまえになって次からの仕事も「無償で」その処理を期待されるのは、まぁパワハラ上司に限らず、現代社会においてはクレーマーやモンペのような庶民にも見られること。信頼関係ができていれば、自分が気を利かせたことに関しても相手は理解してくれて当然その相手も自分に気を利かせた対応を取ってくれるから、そこに相互的な贈与関係ができるんだけども、上記の通り信頼関係が築かれてなければ奉仕者が一方的に贈与する搾取-被搾取関係になってしまい、そこに対等な関係が崩れていれば権力勾配によって搾取されることを強要されてしまうわけで、そりゃ日にちのたっていない主人公に対して気を許す筈がないでしょ…、妖精が一方的に搾取されてる社会なんだから殊更に…という感じ。主人公は自分は大人だと主張するのだけども、そのへんの社会構造に考えが及ばないから案山子、ようするに脳足りんと揶揄されてるわけで、前近代において15歳前後が成人だというのはそうだとしても、ようするに現代社会における成人年齢、それがちょっと前までの20歳、そして強制的に法律で18歳に引き下げられた現代日本の若者のアホさ加減(もちろん振る舞いが大人な若者もいるにはいるんだが…)について言及してるというもの。
全財産が馬車というのも、フツーに考えて貧困層を指しているんだろうし、欧米ならトレーラーハウス、日本においては一歩間違えばホームレスが見えるほどの層を想定してるんだろうなという感じ。日本だと居住環境が整備されてるキャンピングカーは乗用車より高い*1から、ネカフェ難民あたりなんだろうなという。カネはかけられないけど注ぐべき愛情だけは怠らないってのは昔の日本人っぽく*2はあって、そのへんの感性が通用する最後のタイミングのようにも思われるのが個人的にはなんか寂しい限り。
高度成長期の日本なら、世界名作劇場などを見た貧困層に、自分もあのように頑張れば貧困状態から脱却して人並みの生活を送れる…という希望を与えることもできたし、実際それで厚い中流層を形成してきたわけだが、現代日本だともうこういう作品はゴールデンタイムに持っていくのが困難だし、仮に持って行ったとしてもメッセージを届けるべき層には決して届かず、今や都市部の底辺校は動物園化してるみたいなので、結局ある程度の文化資本を蓄積してる、若者といってもむしろ成人以降の社会人が原作読者であったり、このアニメの視聴者であったりするのが、なんかもう日本オ㍗ルな…むしろ政府が率先して格差拡大政策やってるぐらいだし…って感じなんだよな。
*1:前近代でも馬の維持コストは庶民にはキツいと思われるのだが
*2:欧米の貧困層なら親が貧困層なら子供は親と同様泥棒家業を継承するとかストリートチルドレンになってしまうので…