アクアトープ#16

 子育て云々の話。あーあ、やっちゃったという感じ。まぁこの作品が最近のトレンドをふんだんに取り込んでフックにして、こう自分が思い描く夢に邁進していきましょうというよりは、もう日本は余裕のある社会ではないんだから妥協して仕事選びをしましょうってテーマにしてると思ったから、まぁシンママとか仕事と育児の両立とかを入れ込んできても不思議はないんだけど、個人的には仕事選びの部分がボケるでしょとは思う。
 そもそも水族館の飼育員なんて、割とアクアリウム趣味の人にとっては憧れの仕事だったりするのだが、熱帯魚飼育の延長線上で考えてしまうと泣きを見るほど実際の仕事は3Kなのがあきらかなのであって、そんなの前職でわかりきってるのにシンママであることを隠して応募するってどーなの?って話。自分が採用されることで他の求職者を蹴落としてるのであって、では他の応募者が劣っていたから落とされたの?と考えると、公平性から考えると、大げさな話職場で子育てを支援するって流れになるんなら、求職段階で職務に必要なスキルや知識を持ってなくても採用したれよという話になる。なぜなら職務に必要なスキルは就職してから職場で支援して身に着けさせれば良いという理屈になるから。それでなくても元アイドルだとか漁師の息子は実務経験があるとはいえたった1ヶ月だし、元観光案内は事務仕事はそれなりだろうが水族館勤務という点に関しては実務経験0相当。だからこそあのシンママはコネ就職といってたわけで、ある意味ブーメランにもなりかねん。
 今、子育てが微妙なのは、日本から中流ワイプアウトされ、下層に生活水準が下降した層は結婚しても子育てを最初っから諦めてる家庭もあるし、そもそも結婚できない層も増えている。彼らが子育てには責任が伴うと考えているのであれば賢明というしかないし、貧困で結婚もできないという層はそれはシンママよりもっと救済されるべきなのであって、では水族館に就職することを志望して、3K職場であることがわかっていてかつ生き物を相手にするのだから休みなんかとれないのはわかっていて、それで結婚するのはまぁいいにしても、子供をこさえて、死別ならともかく自己都合で離婚してしまってるわけで、そういう無責任な人間が採用されたら、では採用されるためにいろいろ自分の身辺を整えていろいろ我慢してる人が採用されなかったのだとしたらそこに公平性はあるの?という話になる。そういうわきまえた人の夢は諦めさせられて当然なの?という。
 ついこの前も消費税が増税され幼児教育が無償化されたわけだが、消費税なんて所得に対する負担率は貧困層のほうが大きいわけで、フツーに考えたら貧困層から分捕って子持ちにカネを配るということに他ならないのだが、今の世の中、子供を持てるということは贅沢だし、貧困でも子供を持つということはよっぽど個人として主体的に子育てに関わるのでなければ、子育てのコストを他人に負担させるということなので、そういう無責任なやったもの勝ちをゆるしていいのって話にはなる。
 子育ては社会全体ですべきという言説は、国民のすべてが結婚でき、子供を持てるという前提に立てばお互い様という理屈で成り立ちもするが、現状貧困層にそのコストを多めに負担させるということになってしまっているので、もうちょっと考えるべきなんじゃないかなぁと思う。それでも社会で子育てをすべきというなら、馬鹿げた話だが、ちょっと前に話題になった「女をあてがえ」論にも説得性がでてくることになるがそれでもかまわないのか?。「貧困の再生産など起きない。彼らは子供さえ持てないからいずれいなくなるだろう」by自民党の某議員なのであって、子持ちは子育てを社会で負担しろということで、貧困層が子供も持てずに死に絶えることを肯定してしまうことになるわけで、自分の発言していることについての意味をもっと考えた方がよいがなぁといった感じ。
 うーん、これ篠原監督が積極的に取り入れたかったことなんだろうか?。色づくのほうはもう全く思春期を対象とした夢を大切にみたいな要素が語られてて、全くないというワケではないんだけど、社会的な要素が希薄な純粋な青春モノって感じだったから、テーマを絞り込んでストーリーを練るってタイプなんだと思ってた。なので、この作品のごった煮的性質はちょっと「らしく」ないなとは思っていて、でも自分が期待してたのは、もう日本も純粋に夢を追い求めてよいという余裕のある社会ではないだろという点ではあったので、1クール目はそういう要素が強めで成程なぁとは思っていたのだ。正直なところ、それに沿ってもう職業を好きに選べるなんてのは上級国民の特権になってしまってるのだから、やれる仕事にやりがいを見つけてガンバレ程度でよかったのではと思うのだがどうか。まぁ貧乏人には夢を見る資格自体がないというのもそれはそれでディストピア誘導で気持ち悪いとは思ってしまうのだけども、無責任にお前はなりたいものになれるんだよと主張するよりはマシなんじゃね?という。
 バブルの頃にゼロサム社会というのが流行ったのだが、まだゼロサムならマシなんだよ。何かを手放すもしくは諦める、もしくは我慢することでもいいが、それで本当に自分が手に入れたいものを手に入れられる可能性があるから。でも今日本はゼロサム社会ですらない。その上で上級国民は貧乏人から奪って肥え太ってるのだから、貧乏人はただ奪われるだけの存在になってしまってるんだよ。
 いちおう主人公格が二人いることになってると思うんだが、元館長代理は何も失ってないし、彼女が苦労しているように見えるのは社会的な理不尽のせいではなく彼女自身が未熟なだけだし、元アイドルは、アイドルの夢を諦めたのであって言い換えれば「自分から手放した」形になっており、決して奪われたというものにはなってない。そういう恵まれた彼女たちがシンママを支援することによって、物語のステークホルダー外の貧困層に負担を押し付ける形になっているのは非常にマズいというか、視聴者の見えないところに理不尽を押し付けてそこから目を背けさせる構造自体が悪質というか。