忍の一時#11

 主人公が伊賀当主として甲賀側に一方的に有利な和平を持ち掛けるが…の巻。なんやろ?、ここまでの流れで甲賀は世界唯一にして無二のテロ国家アメリカ合衆国のメタファーなんだろうなという感じで、今まで数々の忍者の里を問答無用で潰してきただけでなく、雑賀の里を潰したあたりなんかはユダヤ金融資本のありかたを示してきたわけで、暗忍庁だっけ?、忍者関連を専門に扱う警察のようなものを示していたけど、これは最近すっかり機能不全が世界中に認識されてる国連のような描かれ方。伊賀はまぁ日本のメタファーではあるとは思うんだけど、なんつーか、中国侵略を咎めだてられ、なら撤兵すればいいものを東条英機岸信介が中国侵略の責任を取って中央政界から放逐されるのを嫌がって日本国民全員を巻き添えにして勝てもしない総力戦を合衆国に仕掛けて見事返り討ちにあって植民地状態にされたあの当時の日本でもないし、日本を売り渡すことを条件に合衆国の傀儡になることを条件に日本の現地総督の地位を保全され今なお岸家やアベ家の支配下にあった日本とも違うわけで、いちおう平和主義を掲げてできるだけ不戦を貫く戦後の理想主義が継続していた…というこれまたファンタジーな日本史観による仮の日本像でしかなく、まぁそれを示すことが現代日本の視聴者にどれだけ意味があるかわからんが、まぁいちおうこれはジュブナイルなので…。
 伊賀秘伝忍核なるものがどういうものか、今のところ莫大なエネルギー源という説明がなされていて、まぁフツーにこれは石油のメタファーなんだろうなと思うが、それを渡してどうなるものでもなかろうと思っていたら、それは作中でもちゃんと交渉材料にならないことは示されていた。結局イラク大量破壊兵器がないのに合衆国に侵略されて国が滅茶苦茶になったし、リビアも反米を拗らせてはいたが合衆国に実力行使をしたわけでもないのに国家元首が暗殺されて国内が内戦状態になってやはり滅茶苦茶になってるし、ベネズエラもやはり反米を拗らせて合衆国に経済制裁されてやはり絶賛経済崩壊中。イランやアフガンもやはり合衆国に痛めつけられたわけで、合衆国は別に国家間の交渉なんて最初っからやる気はなく、もう最初っから砲艦外交で欲しいものは武力で略奪するということを続けている。なので、伊賀秘伝忍核が欲しいのならそれは武力で強奪するというのは、甲賀が合衆国のメタファーなら当然すぎる態度なのであって、そういう構図では主人公がそれを材料として交渉とかまぁフツーにムリなんじゃね?とは思ってた。当主としての主人公の判断も甘々なら、ではそれに反対して徹底抗戦を叫ぶ里の人らの態度もこれまた甘々なのであって、その後主人公の意図は裏切り者を炙り出すための欺瞞だったと後半で明らかになるわけだが、まぁそれを明らかにしたところで展望が開けるわけでもなくどうしたものかといった感じではあった。
 で、敵本拠地に殴り込みですか…。現実の世界情勢がいくら合衆国が我儘放題で諸悪の根源であっても、もう全世界で合衆国を止める勢力なんてなく、なんとか目をつけられないよう細々とやってくか、合衆国の搾取を受け入れ、国が搾り取られるままになるのかの究極の選択*1を取るしかないわけで、なんでどの作品も示し合わせたようにヤクザ映画のクライマックスを持ってくるのか個人的には甚だ苦笑せざるを得ないんだけども、結局庶民に許されることはガス抜き程度であって、本質的な解決は望むべくもないってことなんかねぇといったところ。
 しかしベトナムよく合衆国の無謀に耐えて撃退したよなぁという感じ。そういう方向性の物語があってもよさそうなもんだけど、現代の便利な生活に慣れ切った平和ボケにはこれまたそういう案を示すのも今となっては机上の空論になってしまうのかもなぁ。

チェンソーマン#10

 前回の戦いで受けた被害の立て直し。もうアバンから濃厚で、主人公がいま周囲にいる連中が全員死んでも悲しくない、というのは、まぁ主人公自身に人の心までなくなってると言わせてるからアレなんだけど、別に関係性を積み重ねた人がいなくなれば悲しいが、そうではない人がいなくなってもそんなに障害にはならないというのは、社会人としては失格でも、「人間」としてはごくごくフツーのことではある。で、本人がそれを自覚してるという描写は、彼がむしろ社会性を身につけているという提示でもあって、批判という強いものでなくても、現代人に対する懐疑程度のモノを示しているのかも…とは思った。
 中盤は、もうこれは強烈な現代教育批判で、結局力をつける能力を獲得するには自分自身で試行錯誤を繰り返してそのやり方を身につけるしかないのに、「わかりやすく教えてくれないから教員の責任」とか、「教員が授業で笑わせてくれないから勉強する気が起きないんですぅ」とか真剣に取り上げちゃって結局学校が崩壊してしまってる現状へのダメ出しなんだろうなと。
 ちょんまげ君も、バディの手紙がさらなる地獄へ追い立てる結果としかなってないし、そのような状況が契約する悪魔に足元を見られることになるんだろうなと思っちゃうのだけども、そのへんはまだなんとも。
 しかしまぁ、「キレイ事」とされてることが社会をゆがめてる結果にしかなってないというのをこれでもかと示されると、ちょっと今までのサブカル作品に物足りなさを感じてた自分としては、こう腑に落ちる感というか清々しさをこの下品にも見える作品から得られる意外さというのか、あーなるほど、そういう現代社会のもどかしさをこの作品で言語化されて共感する人もそこそこいるから支持もされてアニメ化に至ったんだなとも思えてしまう、やはりこの腑に落ちる感だよなーという。

*1:別にフツーのカレーを喰えばいいのに、ウンコ味のカレーか、カレー味のウンコを喰わされるか迫られること