ヴェルメイユ#6

 いろいろあったが、代償を払って現状維持とメインキャラのつながりが深まる話。泣かせの展開に人の死を利用して、あーまたかー、どうせ生き返るんだろーなーと思いながら視聴してた。何のかんの言って、ヒトというものは死に対する恐怖があるのだから、それを使えば衝撃を与えることもできるし、死を回避すれば恐怖は薄まるのだから、もう視聴者のそういう動物的本能のスイッチを利用してるだけのシナリオは後でモーレツに白けるんだよ。それも、結局物語中では誰も死なないというセーフティーネットを張ってたら、うんまぁという感じ。
 体が勝手に動くというのも微妙な話で、結局それって主人公がそういう人間だった…というだけの話、つまりそういうことができる能力ってのは先天的なものなのであって、努力すれば誰でもなれるものではないって、それって読者との対話を拒否してやしないか?という話。自分だったらこうするのに主人公は違う選択をしたそれはナゼ?とか、なんか重大な選択を突き付けられて、その段階で思い悩むとか葛藤をしたうえで、それでもどう考えても自分にとって損になるような選択をした、それはナゼ?とか、そういう読者への提示がなくて、考える暇も何もなく結論だけを示すってちょっと雑ではないですか?みたいな。
 とはいえ、こう、思い悩むも何も考えたら正解に辿り着けるようなものだったら提示する必要もないし、なら考えずに一つの選択をしてみせるというのはそれはそれで正しい。しかも、今回の場合、例えばねーちゃんがそれまで主人公と良好な関係性を築けていたから助けたのか、そうではなく関係性が無ければ助けないという選択肢を選んでいいのか?という話*1でもあって、そのへんは理屈じゃないんだよということでもあるんで、結論だけさっさと示すことにも問題があるわけじゃない。
 ただねー、そのへんやっぱり死ぬ生き返るの話があるから、結局話が軽くなっちゃうでしょということ。これは神明裁判の構図と似ていて、容疑者にやましいことが無ければ熱湯の中に手を付けてみろと脅し、もし潔白なら神の加護で熱湯につけてもやけどをしない、そうでないならやけどをするからという理屈付けで迫るわけで、そこでやましいところがある容疑者だったらどうしても熱湯に手を付けられないから犯人が特定でき、そうでないなら、大抵の場合周囲の者が熱湯に手を漬ける前に止める…みたいなアレ。要するに人間として正しい行為なんだったら命なんて惜しくないだろ?ということ。
 まぁ今回のこの展開、別にこの作品に限らず他の物語作品でもよくやらかすことなんだけど、個人的には死ぬ生きるの問題を扱うんならもっとエクスキューズを念入りにやってくれよというお話。別に文学を目指したわけでもないエンタメサブカル作品にそれを求めるのは酷といわれたらそうなんだけどなー。

*1:他にもねーちゃんが美人だから助けたんだろーとか、世話になった先生だから助けたんだろーとか、そういう理由なかったら見捨てるのか?みたいな