4thQ2021終了アニメ

 昨日今日とホントやる気でないというか、日中寝落ちしてアニメも見る気力なし。ゲームも最低限というところだが、艦これだけはバケツが溢れるので任務消化をしてる。でもその艦これすら2~3回は寝落ちしてるという。
 86の2クール終盤がどうやら3月に飛んだので、おそらくキリのいいところ。このままぼんやり過ごすつもりだったのだがちょっとまとめてみる。おそらく抜けはあるんじゃないかな。

  • 無職転生 Wikipediaでなろう系異世界転生モノの先駆的作品とあってちょっと意外だった。転生におけるご都合主義のダメさがないわけでもないんだが、なんつーか、人間を描けてるという印象。父親が女にだらしないのが子供にもあてはまってるとかちょっと文学匂わせてる感じ。転生後の世界はなんのかんのいって日本そのものだったり、日本の裏返しでやはり日本を意識してる作品が多いのだが、これはそういう世界に不満があって、異世界転生はエクソダスという要素がほぼないのが驚き。こんなにストイックな作品とは思わなかった。
  • 電池少女 なんかスッキリしない作品。表現の自由におけるなんらかのメッセージが込められていると思うのだが、個人的には中途半端というか、主張からどこか逃げてるような印象を受けた。オタク…といっても、もうカジュアル化してるので、趣味に耽溺する人格と対象物との相互相補的な関係性についてはそうなのかも…という感じだが、もうちょっとはっきり言ってもよかったのでは?という気はする。
  • ジャヒー なんやろ?、結局人間とは社会的関係性の中で生きていくしかない動物とでも言いたげな主張だったのだが、最初は貧困だとかそういうのがテーマなのかと思ってた。戦闘員…の主人公が下世話な欲望に塗れていて、これもまた人間のあり方で、しがねぇお勤め人の共感を呼びそうな造詣だったのに対し、こちらは読者と主人公を同一化するのが難しいながら、しかしまたこの虚栄心は自分にも当てはまる要素があるよなーみたいな共感を呼ぶものにはなっているんじゃないかな。この作品のここが見どころなんだよみたいなはっきりしたものがあるわけでもない…というか自分にそれを言語化する能力が無いだけの話だとは思うが、個人的にも不思議な魅力のあった作品。
  • 斗神姬 都度感想で述べた以上のものが書けそうにないが、ジャパニメーションの要素を詰め込んで中国人が本国向けにSF要素を詰め込んで再構成したような作品。最近の報道を見ると表現規制に引っかからないよういろいろ苦心したんだなと思うので、作品全体を通底するメッセージが弱く感じるのは仕方がないのかも。うまくまとまってはいるけど、中国ならではの要素は少なめかも。
  • 見える子ちゃん これも都度感想で書いた通り。「見える」のは怨霊や悪霊という形になっているが、これ別に霊に限らず、それぞれの個人に理解の及ぶもの及ばないもの…という風に普遍化しても構図は変わらないので、その辺が面白かった。ある種のディスコミュニケーション論とでもいうのかな?。人間見てる対象が同じものでも理解の仕方は人それぞれ(どう見えているかはわからない)だし、ヒトによっては見えてすらいないかもみたいな?。
  • タクト 音楽論としてはぼんやりしてるし、大したことは言ってなさそうな感じを受けた。このコロナ禍の中、世界中の人々がいろんな行動に制約を受けていることをモチーフにしてるんだろうと思っていたのだが、そういう要素はあったとしてもあんまり強く考慮しているってものでもないようには感じた。画にキレはあるし、終末的雰囲気は悪くないし、大きな失点がないから悪くはないんだが、個人的にはピンとこない作品かも。
  • 月とライカ 共産圏での宇宙開発なら、ダイレクトにドキュメンタリーでも見てろということなんだろうが、個人的にはファンタジーとして再構成してエンタメとしてまとめ上げた出来としてはそこそこという評価。どうしてもソ連社会主義の失敗例という取り上げられ方をするが、辺境の貧しい国だからこそああいう過程を経るしかなかったんだなということはよく描けてると思う。
  • 異世界食堂2 まぁ特に見なくてもいいんじゃねと思わなくもないが、都度感想で述べた通り、「洋食」というジャンルが日本ではおそらくもう消えかけている時期だと思うので、それがまだ憧れの対象として機能してた時期を知ってる自分としては、集大成として結構楽しんで視聴できたという感じ。1期は声優の朗読会みたいな風情があったのだけども2期はせっかくのベテラン声優を連れてきてもその要素が少なかったように思えるのがちょっと残念。まぁ2期はどちらかというとドラマ方面に寄ってたからその方向性は正しいとは思うんだけど、ドラマ部分こそが脇役だからなぁ。
  • アクアトープ 1クール目は割と楽しめてたんだけど、2クール目は妙に教育番組っぽくなってしまって、予定調和で終わって個人的には残念といったところ。篠原監督作品という色眼鏡が自分にはあったからもっとやれるでしょと思うのだが、昨今の社会問題的要素を盛り込んでこうなったらいいんじゃね?みたいな方針を示した作品としては無難なものにはなってると思う。
  • テスラノート これも都度感想で述べた通り、オカルトっぽいオーバーテクノロジーを示しながら、技術と社会との関係性みたいな大きなテーマを期待したら裏切られる。結局これも関係性の物語で、スパイアクションですら本筋ではなかったという。アニメだと興を削がれることが多くてイマイチといったところだが、おそらく原作はもっと違和感なく物語に入っていけるんじゃないかな?。原作読んでないから知らんけど。
  • 真の仲間 別にレッドオーシャン分野で仕事してても奪い合うだけだし、食っていけるだけの仕事があればのんびり過ごせればいいやって考えなら、お姫様が降ってくるし男の妄想全開で浸れる作品。ただ、のんびり描写だけだと飽きるだろうから、そこに自己決定権という近代思想を盛り込んできたのは社会全体を考え直させる手法として悪くはないかなという感じ。神拾や聖女の…みたいにインナーワールドに耽溺する作品でもなく、その辺バランスはとれていたかも。個人的には好きな作品だけど、ご都合主義と言われたらぐぅの音も出ない。
  • やくも2 1クール目と違って多治見紹介要素が薄れ、キャラの成長モノが全面に押し出されてた。ショートアニメとしてはバランスが良いし、スポ根のように飽和してしまってる展開でもないからニッチとして楽しめたという感じ。実写パートは1クール目のほうが楽しめた。
  • 暗殺貴族 回復術士よりは断然良いのだが、この後に無職転生を見てしまったから、それに比べてしまうとこちらは成長段階でアニメが終わってしまってるからちょっと物足りない。回復術士でもそうだったのだが、この人の場合、理想は理想としても現実には社会はこのように動いて結果的にこういう機能を持つという視点があるから、そのへんが個人的には楽しめる要素。ぜひ2クール目を作って欲しい限りで、しかし、これ言ってよいのか迷うが、なろうに行って続きのタイトルみる限り、勇者と主人公がご学友になる展開なので、続編作られても見どころあるのかな?という感じではある。
  • 海賊王女 正直海賊要素は必要だったの?みたいな。個人的には最初そっちの要素が濃いんだろうなと思っていたから肩透かし。絵柄的にはおおきなおねえさん向け作品だと思うし、最初なんでもかんでも口にしてたしなめられていた主人公が、ラストすべてが終わって髪も黒くなって主人公は一皮むけたんですよという提示をして、思慮深くなってるのを見ると、おそらく自律だとか主体性だとかの主張なんだろうけど、これはさすがにはっきり言ったらTV版エヴァンゲリオンのように反発を食らうだろうからオブラートにくるんでまるでハッピーエンドのように見えるような作りにしたんだろうなという。絵柄だとか話運びに気合が入っていたように見えてたから、もっと世界全体を包含する社会問題についてなにかしら一家言あるかと思っていたので、そのへん肩透かし。ただ、自分の期待通りではなかったからと言って悪い作品ではないとは思う。
  • 平家物語 絵柄も似絵のような、輪郭線細めの瓜実顔、平家にクローズアップさせて原作のボリュームを削って、盛者必衰のテーマに絞り込んだところ、結構見どころがはっきりしてて出来は良かったし個人的にも楽しめた。
  • 同期ちゃん まぁこんなものでは?。見るタイツよりは楽しめた。


 案外作品数少なめな感じ。というか感想書くの疲れた。半分ぐらい書いて気力が既に萎えてる。ちなみに確保してあるけど視聴してない作品結構ある。


 うーん、なんだろ?、最近思うのは定番の物語がなくなって、それで西洋ファンタジー的世界観っていうのか、もっと下世話な感じでいえばJRPG的世界観っていうのか、そういうのであたふたしてる感じがする。王ランで述べようと思っていたのだけども、無職転生を視聴してしまって、あー、日本人は「ニッポン昔ばなし」的なものを失って右往左往してるんだなという。日本人は、もう浦島太郎だとか桃太郎の時代の延長線上に暮らしてるんじゃなくて、もう延長戦というレベルでもなく断絶してしまってるからその辺の精神性も薄れているし、明治以降西洋文化を取り入れて近代化を図ってきてはいたのだが、では世界名作劇場に影響を受けてきた自分のような世代と、今ドキの若者ともやはり断絶がある。まぁ西欧だって、グリムのような民間伝承的昔ばなしではなく、アンデルセン童話のような創作童話、そして世界名作劇場なんてものは、あれは近代啓蒙思想の賜物なのであって、前近代を継承してきたという連続性なんてものは無い。
 自分は幼かったから、例えば母を訪ねて三千里なんてものはただの母親恋いしやの物語だと思っていたんだけども、あれは主人公がなんとイタリア人なのであって、母親は貧しい祖国イタリアを後にして新大陸アルゼンチンに出稼ぎに行くゴロンドリーナであり、それを幼少時の自分は全然理解どころか念頭にすらなかったわけだ。しかし、中世では地中海貿易で巨万の富を稼いだイタリアの諸国家はそれを背景にルネサンスを花開かせてブイブイ言わせていたのに、その後世界は大航海時代を迎え、世界はスペインとポルトガルに二分されることになったのが、さらに時代は進んで産業革命を成し遂げたイギリスが日の沈まない帝国を築き上げたその間に、イタリアは過去の栄光に縋り続けて近代化の波に取り残されて没落してたわけだ。だからこそマルコの母は遠路はるばるアルゼンチンにまで出稼ぎに行く羽目になっていたわけだし、なれば、あの作品というのは近代化を成し遂げてこんな不幸はなくすべきだという主張が見え隠れする。ピノッキオなんかも、あれは勉強が嫌いなピノッキオが騙されて酷い目にあい、でもその後努力をして「人間」になる話なのであって、要するにあれは「イタリアが近代化を成し遂げるためにはお前ら学校行って勉強しろ」という主張。
 そういう話が日本に輸入され、実際高度経済成長期には努力すれば人並みの生活が送れるようになり、勤勉さだとか近代市民に必須の要素をそれら名作から我々は学んでいたのだというのが今になってわかるわけなのだが、最近はそういうものを目にする機会がとんと少なくなってしまった。
 でも新たに作られる物語は、やはり何のかんの言って自己決定権を含む近代啓蒙思想であるし、でも日本古来の伝統が上記の通り失われていて、でもアレでしょ、今ドキの若者が幼少期をどう過ごしていたのかについてはJRPGに触れてきて、ああいう似非西洋風の世界観で育ってきてるために、そういうものを背景にテキストを組むしかなくなってきてるんだろうなという感じ。
 なので、無職転生の中盤以降の離散した家族を探す展開とか、あーなるほどこれは母を訪ねて三千里の翻案なのかという気もするし、世界名作劇場の影響を色濃く受け継いでいるんだなとも思うし、そういう意味では近代文学の範疇にあるといってよいのだと思う。で、自分が王ランなんかで受ける印象は、これはもう障害者に対するポリコレだとか、でも西洋童話の要素をふんだんに盛り込んでるところなんかは、あーもうこれはキメラなんだなと思うしかなく、これは近代文学というよりは、現代思想における多様性問題と人格の話なんだなという感じを受ける。王ランが取り入れてるテキストは、民間伝承昔ばなしもあるし、創作童話も入っているから実に奇妙で、各キャラクターのドラマとしては人間というものが表現されてはいるところも有るんだけど、結局統一性がなく、おそらく結論は「みんな仲良し」なんだろうなと思うとちょっと興が削がれてしまうという。多様性を重視していながら、結局自己決定権も肯定するんだろうから、そこにどういう共通認識を持ってくるのかが不明瞭だし、王ランなんかはそういう問題を最初っから投げ捨てているんだろうなという感じ。いやまぁ、なんのかんのいってそれなりに現代人にはどういう共通認識で社会を構成していかなくちゃならないのか、作品を通じてその理想を達成したいという野望みたいなものは無くても、多様性が重んじられすぎてしまえば社会は統一性を欠いてバラバラになるし、かといって自己決定権を失えば抑圧万歳のディストピアになるわけで、そのへん最近の作家は真剣にテキストを組もうとすればするほど袋小路に嵌ってしまうんだろうなという気はする。それに上記述べた通り、現代の日本は前近代との連続性も欠いているし、戦後しばらくの近代啓蒙思想とも連続性を欠いてしまっている。しかも読者の共感に訴えかけるためには彼らの生まれ育ってきた経緯に沿わなくてはならないし、それが今だとゲームを背景とする西洋風似非ファンタジー世界であって、それらゲーム内で語られた理想だの達成感なのだから、どうにも行き詰ってるんだろうなという感じ。どうするんだろうね?。