たんもし#11

 助手が忘れていた記憶を取り戻す話。バトルシーンのすべてが陳腐で、オイ!やる気あるんかとうんざりしてたら、いちおうサプライズはあったという。前回一旦自分も作者のミスリードにのっかる形にはなってたが、基本そこはかとなく感じてたうさん臭さはそれなりにも違和感として間違ってなかったということにはなるわけか。ただ、これよくわからんのは、原作のテキストではどうなってたんだろうな?。

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 アニメだと確かに視聴者に判断材料は与えられてたということになるわけで、自分が途中で気が付かなかっただけと言われたらそうなんだが、原作でわざわざ髪と瞳の色を明示してたのかどうか。助手と名探偵の間にアリシアというワンクッションを置くだけでなく、やはり助手と名探偵の間にヘルというワンクッションを、それも別人として偽装させてたというのはアイデアとしてなかなかよく考えたなとは思うんだが、テキストベースだと読者にそれと気づかせないよう判断材料を与えるって細心の注意がいるしどうなってたんだろうなという。逆に今回アニメーションではバトルシーンが空回りしてると自分が感じたのとは別に、テキストだと案外違和感なくポエムの応酬がなされてたんじゃなかろうかとも思うワケで。ただ、構成としてアニメのバトルシーンの陳腐さは狙ってそう描写してたようにも思えないし、とはいえ、あそこで助手がスマートに動いてもらっては困るわけで(気絶してふと目が覚めた拍子に昔のことを思い出すというシナリオなので)、今一釈然としないものはある。
 しかし、こうなると新探偵?の、何物にもなれない自分が何者かになろうとするあの切望ってミスリードのための偽装材料だったっての?。まぁ最初っから胡散臭いものとは思っていたんだけど、それならミステリとしてのギミックを取り除いて、作者がこの作品を通じてどんなメッセージを読者に投げかけているのかよくわからんといったところ。娯楽だからそんなの最初っからないとと言われてしまえばそうなんだが、このような仕掛けが面白いでしょってだけでは、ふーん、それで?というだけの話だし、デウスエクスマキナではないが、神と同様なんでもできる能力を持たせてくれてるんだったら、もう以降なにも驚かないよってなもんで。ただ、次号予告によるとサブタイからそのへんも示してくるのかなって感じではある。おそらくアニメ版最終回だろうし。


海賊王女#6

 とりあえず各勢力の思惑をサラッと上っ面を撫でて、主人公がさらわれたあとのことを落ち着いて整理する回。うーん、天叢雲剣の件でずっこけた。三世紀云々でハァと思っていたのだが、要するに、これ、各勢力が欲しがる宝なるものがあって、それらが集められているエデンなる場所があってそこを目指すってことらしい。上述の剣の荒唐無稽さからちょっとぼんやり考えていたんだけど、ジャンヌダルクの史実はディテールを尽くしてるのに、この雑さは、要するに、そういう伝説級のデマをまき散らし、何かを引き寄せるエサとなってるってことなのかな。忍者なるものはむしろ武家社会がもたらしたもので、朝廷の密使的なというのも、これええんかいなと思ってしまうものの、まぁ別にこの物語が近世世界の再現でもなかろうし、あんまツッコんでも仕方がないのではあるが、それにしても突飛な設定で面食らう。
 しかしなんだな、忍者なんて目的集団なんで、座標を手に入れたといっても、いちおう宝のカギは依然主人公が握っているのであって、そのへん別に座標は座標で報告するのは当然としても、有力なカギを掻っ攫われたのだから情報収集するってことで隊を二つに割って捜索に充てた…でもかまわないのに、派遣部隊として目的意識がバラバラで、何仲間割れやってんだみたいな。こう、任務が最後まで達成されるように、普通任務の詳細については隊員全員が共通認識を持っていて、例えば不慮の事故で誰かが倒れるようなことがあっても残りのもので任務を遂行できるよう臨機応変に対応できるようになっているべきものでは?。石の秘密を探るために行き先を全会一致という民主主義的手法をとっていた…というのは象徴的ではあったんだけど、なんつーか、民主主義的であるということを重要視しすぎて共同体が全滅してしまったら本末転倒なので、それで、構成員の意見が割れたときに集団はどのように処理すべきか…というのを今回示したってことなんかねぇ。仮にそうだとしても議論を尽くすという要素とか、最終的な集団としての判断の下し方があまりにお粗末な感じはするんだけど。