アクアトープ#10

 奇跡体験をウリにしようとするが…。元アイドルも復帰の目が出てきて擾乱要因が混ぜられてきた。というか、閉館まであと一週間ほどなんだな。割とカレンダーは見せてくれてたので、着々と時間が進んでいるのはちょっと意外。サザエさん時空ではないが、もうちょっと緩急をつけてくるのかと思ってた。しかし仮にイベントが成功したとしても、それで閉館が取りやめになるには、タイムオーバーしちゃってんじゃねぇのという気はする。というかあと一週間ならむしろ感謝イベントとしての閉館セレモニーの準備をやってる段階では?。閉館日までは展示を続けなきゃならないから、施設内の整理は閉館後になるとは思うが、この分だとその処理は淡々と進むのだろうか。そういや天城ブリリアントパークも期日を決めてその日までに目標達成で継続かどうかみたいな流れだったと思うが、未達だったらその時点で即日閉園だったっけ?
 なんやろ、閉館自体は待ったなしだと思うんだが、館長代理の行き先だよな。なんか新設の水族館にという話だったりするんだろうか?。ただ、彼女は水族館だったらどこでもいいんじゃなくて、この場所一本槍だしな。しかし、こうドラマ自体は動いていながら、なんつーか、こう真綿で首を締めるような展開なのがじわじわくる。先が読めそうで読めないのがもどかしいのだが、このもどかしさがよくできてる。

迷宮ブラカン#10

 迷宮に閉じ込められたことが判明し、何とかしようとする話。迷宮内の環境を整えるのが、地球環境を意識してるのか、職場環境を改善するという意味なのかよくわからんかった。世界を救うというミッションが課されている以上、地球環境云々もそれなりに考えられているのだとは思うが、正直唐突。ただ、迷宮の住人達、すなわち魔獣だとか怪物たちは、自分たちの生活の場を採掘会社に今までさんざん荒らされてるわけで、これ、よく考えたら、今まで採掘会社がやってきたことって、大航海時代からの欧米列強が世界中を植民地にして荒らしてきたのと相似形なので、主人公たちがやってるのはその償いのような記号が課せられているのかも。本当にそうならなかなか深みがあるというか。

はめふら2#11

 キース誘拐編決着。うーん、ナニコレ?。今回魔術でキースの居場所を探って途中警備に阻まれるものの、それもあっさり退けて即辿り着いて謎の力発動で闇の魔力も解除。ストーリー展開からするとよく言われるところの一本糞シナリオどころの話ではない。
 ただ、あの闇の力を解除する謎の力発動は、あれ、どう考えても聖女のあり方なので、カタリナが恋愛に無頓着なのはおそらくそれゆえだからだろうと思ってたら、ちゃんとソフィアが「カタリナは誰のものでもない」と言語化してくれていたので親切というしかない。今までカタリナは人たらしと称されていたのだけども、物語上の役割としてはそうではないというお話。思えばカタリナは彼女以外のメインキャラを全員救ってきてるのだから、救われた人たちは信仰の対象としてカタリナを敬愛すべきであるし、救世主の側は本当は救った人たちから何の見返りも求めない…というのが宗教上のセオリーなのだが、あいにくここは乙女ゲームの世界なのであって、そこで一番プレーヤーが最高の栄誉として受け取るものは男キャラから恋愛対象として見られること。本当ならカタリナが貰うべきものが錯綜していることを示すためにラストの攻略完了というセリフがあったのかな。
 しかしこれだと3期ありそうな感じ。ジオルドとキースを攻略したということがわざわざ示されたということは他のキャラも攻略するんでしょと思ってしまうし、今回登場した悠木碧声のキャラも再登場がほのめかされてる感じ。今回前半でジオルド、後半というか終盤でキース攻略を描いたんだったら、次期はアランとニコルに、他のエピソードも混ぜてシリーズとしての体裁を整えて〆のような気がする。ただ、今回のキース編のように、ストーリーがそれはもう単調なので、本当に続きやるの?という感じはする。
 カタリナのあり方も同じことの繰り返しなんで話が膨らんでいかないし、深みもないんだけど、ただ、第一王子の婚約者に目をかけられているということは、彼女が象徴的に変身する余地を残していると考えられるので、個人的にはそれを期待したい。ただ、その話をやっちゃうと本当の本当にシリーズが終わってしまうよね…とは思うのでなかなか望むべきもないと思う。
 あんま今すべき話なのではないのかもしれないが、聖女の魔力は万能ですとの対比が面白くて、あちらは魔力の発動が聖女の個人的な恋愛感情が原動力であって、それで人を救済するシーンがファンタジーなのに対して、こちらはカタリナには恋愛感情がなく、人を救済するシーンが具体的に表現されているところ。あちらはどう考えても宗教的な考え方が基盤にあるはずなのに宗教を描くことから逃げているわけで、こちらはもう最初っから宗教要素は除外されていて、でも宗教に頼らず一個人がプラグマティズム的に人を救うとはどういうことかについて描かれていて、どちらがリアリティを持ってますか?と言われたら、断然こちらのほうが説得性がある。いやだって、あちらはわけもわからず魔法が発動して欠損が解消されるって夢物語だし、こちらは精神的に参っていたらどんな言葉をかけてもらえば元気をもらえますか?という話なんだもの。全然勝負にならないと思うよ。