ひぐなく業#24

 話は終わらず、続編のアナウンスがあってEND。こうなるとよくわらかん。業というシリーズで評価すべきなのか、次編卒も視聴したうえで評価すべきなのか。沙都子のおじも変化したし、高野も変化したしで、そのへんキャラの変化も追っかけたうえで物語がどういう方向性に動くのか、まだまだ業でも話は終わってないと個人的には思うのでなんとも。ただ、自分が感じてた「日本の失われた30年」、どこで間違ったのか?というテーマがあるのだとしたら、その概略的なモノを示すことができていたのかなと思わなくもない。とはいえ、次回の卒がそれを踏襲するのかどうかもよくわからん。バブル前夜まで描いたから、自分的にはバブル以後のことをやるのか?と思ったら、キャラの年齢をほぼ変えることはなさそうだから、昭和58年付近を延々とやり直すのだと思うし、なら、日本衰退の原因捜しはもうやらなくて、新しい視点なりテーマなりを据えてきてもおかしくないし、逆にさらに掘り下げることをするかもしれない。
 前回も述べたが、キャラが同じ世界線をやりなおしているのか、それともやり直せば世界線は分岐していき、沙都子なり梨花なりなっとくした世界線でよろしくやれるのかそうでないのかもよくわからん。どっちにしろ視聴者はどうしてもうまくいかないからやり直すというストーリーを見せられるのだからあんまり考えても仕方のないことではある。ただ、そういう構造だと最後の最後はキャラのみんなが納得してENDか、やり直してもやり直しても全然解決しない無間地獄ENDぐらいしか見当たらないが…。
 三か月のブランクだが、卒は2クールあるのだろうか?。業もねっとりエピソードを組んでいたのは前半ぐらいで、後半はエピソードの一つ一つが雑に扱われてドラマというよりは構造重視にしていたようだから、卒はドラマ性回帰だとは思えないんだよな。まぁおそらく卒も視聴するけど、とにかく考えるのがしんどい作品ではあった。あと沙都子がメインになってからループに躊躇がなくなるのは今ドキの作品っぽくて、個人的にはちょっと安易に感じてしまったというか。完全新作という謳い文句だったし、そのへん別に昔の作品のリバイバルではないのだから好きにやってくれて構わないんだけど、昭和58年という時代性と現代との比較なので、どうにも食い合わせが悪いというか。視聴者をなにかしら考えさせることに引きずり込む作品であるという点においては面白いと思うのだけども、物語として面白いかと言われるとちょっと微妙。一視聴者として勘違いであったとしても「あーそういうことなのか」という腑に落ちる感じを得るためには、やはり続編の卒を視聴しないといけないのだろうか。業でもそういうものがおぼろげにも欲しかったというか、まぁ自分が見えてないだけなのかもしれんのだが。