天官赐福#1

 
www.bilibili.com
 今期アニメでも手に余ってる感じなのだが、#1だけ視聴してみた。花嫁を襲う事件を解決するために派遣された主人公(男)が、自分が花嫁の格好をしておびき寄せようとするのだが、そこで出会ったのは小さい頃助けられた運命の人(男)だった…という内容だったと思う。やっぱ日本語でないと難しい。中国語がほとんどわからないが、下に英語の字幕も併記されてるので、漢字の意味とあわせてぼんやり意味はつかめる。だが、字幕がさっと流れてしまうから、意味を理解しようとすれば度々動画を止めねばならず、そのへん煩わしい。まぁおおきなおねえさんむけの作品だろう。
 クォリティは非常に高くて、画面の雰囲気は新海誠とかジブリ作品を彷彿とさせる。動画の枚数が少ないところもあるが、作画はほぼ安定していていちおう万人受けしそうなキャラデザ。最初はこのぶんだとジャパニメーションもうかうかしてられないぞという気がしてたのだが、これ、おそらく劇場版一本作るほどの資金が投入されているだろうから、粗製乱造の割にシナリオとのバランスを考えたら日本のアニメ、さすがにコストパフォーマンスは抜群といった感じで単純な比較はできないとは思う。発音は丁寧で、下の字幕の文字との相性が抜群だから、中国語の中級者には学習素材としても優秀なんじゃなかろうか。大理寺日志のときも思ったが、背景が圧倒的に臨場感があってそのへん文化の差が感じられる。
 追っかけはするだろうけど、感想は書かないと思う。内容的にもそれほど自分にフックするものではないから、視聴継続も不明。カネかけたらあっちでも見ごたえのある作品は作れるということを確認するために、#1だけでも視聴するのは悪くないかも。ニコ動同様、コメントが流れるのが鬱陶しいので、画面外下部分にある「弾」スイッチはオフにすること推奨。

神拾#5

 主人公が魔法での遊び方をロリヒロインに教える話と、自分が知らない魔法を教えてもらって廃坑で力試しをする話。やっぱのんびりしてる。主人公が身を寄せてる貴族が旅に出てるというのも、どうやら領地を見回ってるという名目らしい。
 しかし、こういう話だと、この世界の魔法というのは、いわゆる知識とか技術、そして転じて学問やお勉強のメタファーらしい。今だと「させられる」感の強い勉強だが、例えば日本で学校制度が取り入れられた際は、家の働き手を奪われるだけでなく、学費は家計に莫大な負担を当初かけていたから、全国で暴動に近いものが起こっていた。が、実際に学校に通えば、それは将来の働き先を保証してくれたし、昔は兵隊の養成要素もあったから成人すれば、軍隊や産業とタッグを組んで家を放逐された次男三男以下の食い扶持になったから、以後はむしろ学校に行くことが自然に受け入れられるようになったわけだ。で、学ぶ当人としては、そりゃ頭を使うのが苦手な層もたくさんいたのだろうが、ムラから一生出られず娯楽も少なかったど田舎では、新しい世界を垣間見せてくれるものでもあったわけで、勉強することが楽しいという層もそれなりにいた。そういう層にとっては学ぶことと遊ぶことは等価なのであって、そのような状態が今回の話のテーマになっているんだろう。
 シャボン玉を作るのに水に粘り気をというのはあまりに雑だし、表面すら金属光沢の鉄が魔法でポンと生み出されるとか象徴的すぎるとは思ったんだが、まあそのへんの意図は伝わった。学齢期の児童の約半数が、もう便利な道具に頼り切って学問や勉強をバカにして一生這い上がれない格差の底辺に甘んじてる日本の状況を思うと、やはり遠くの場所に来てしまったなぁという感が強い。

まえせつ#4

 主人公たちが地方の旅館に呼ばれて、ステージで立ち往生してしまう話。ようやく話が噛み合ってきた感じ。若手で経歴も浅いからネタも少ないし、場数を踏んでないから客とのキャッチボールができないし、余裕が全然ない。最初に客層を確認したのに、結局手持ちのネタをなんの変更もなしに披露して、しかも演じきることも出来なかったという。まぁ舞台演芸は演者と観客との二人三脚という側面は強いのだが、だからといって観客が湧かなければ演技もノらないってのは演者として失格だし、そのへん挫折編としては無難の出来だった。
 本人たちは新人大会に出るための踏み台って感覚だったのだと思うが、漫才という性格上、むしろ末端の客に喜んでもらうことこそが、大会で賞を取るより本筋なのであって、そのへん若手はわかってんのかなという気はするが、今回それについて言及されないのはまだそこまでの粋に達してないからなのかな。
 まぁ劇中劇の出来としては、R凸が最初の出番で緊張して聞き取りにくい感じだったのが、とこなつと先輩コンビは前回とはうってかわって、そこそこ間もとられていてネタが聞き取りやすかった。そのへんはやはり意図して演技させてるって感じなのかな。新人二組はもっとぎこちない演技にさせても…とは思うが、さすがに明確にヘタであるという形は取れないんだろう。残念だけど、劇中劇としての漫才は実写ドラマのほうが表現できる幅が段違いに大きいとは思う。