司書#20

 うーん、マインばっかりトラブルに遭うのでルッツにも遭わせてみようかみたいな感じなのか。話の構成上こういう要素を入れなくちゃというのはわかるんだが、中世の仕事観ってこんなもんだったのだろうか?とかちょっと訝しがりながら視聴してた。
 どれに最初言及したら良いのか迷うが、まず養子なんだけども、コレ、受けるのいい話でしかなくってなんで断るのかよくわかんない。ルッツの年齢は低そうだが、日本で言えば若者宿のように一旦成人(数えで15)すると親元から離れて自活する風習結構あったし、若者宿を抜けるときは嫁を貰って独立するときだったから、親との関係性そんなにウェットだったか?と思う。今ドキのように親権がなければ自由に会うことも出来ないってこともないんで、今生の別れみたいな感じになることもなかったし、なにより養子縁組すれば遺産相続権が発生するので、特にこのような商売に根ざしたものなら*1はっきりいって事業全体を相続するってことになるわけで親なら狂喜乱舞しておかしくないレベル。日本だと奉公に出れば藪入り以外は親に会うことがないのが普通だったし、この物語世界でも仕事と成長のイニシエーションは一体化してたので、勝手にしろというのが不器用ながら認めてたという言い分自体がオカシイというか、そんなの見習いになった時点でそういう発想が浮かんでくる余地がない。
 なので、こういう話はやはり近代以降の考え方なのであって、人が家業を継ぐなりどこかに奉公に行くなりするのが当たり前であった時代は、それ以外の選択肢がないのだから「自己選択権を発揮したんだからそのことに対して責任を持て」という考えもないはずであって、ルッツが当時なかったはずの職業の自由選択権を発揮したというイレギュラーであったとはいえ、父親がそれに戸惑うのだったら分かるが、自己選択権を認めた上で、子供に責任という自覚を持たせるために敢えて反対しているかのような態度を取るってことが有りうるだろうかという。ある意味王様や貴族が平民の娘を見初めて嫁なり妾なりに召し上げるのと構造的には変わらないんで、それは受け入れざるを得ない運命なのであって、親の判断がどうのといった範疇なんだろうかという感じ。
 マインがあの世界にプロテスタンティズムを持ち込んだという描写は前期になされていたから、ある程度ルッツの家族が近代的価値観に親和性が高いとはいえ、そのへんどうなんかなといったところ。神官長が(成人してない)子供は人ではないといっていたから、あの世界やはり前近代なのであってマインの持ち込んだプロテスタンティズムが早々当たり前に浸透していたというのも無理がある話で、しかも近代はプロテスタンティズムの後に来ると考えるのが普通だから、ちょっと出来すぎという感じではある。
 ただ、こう庶民の間ではいちおうマインが近代的価値観を持ち込んで、それなりに変化していたということを受け入れるならば、神官長があの裁定の場でそれを目の当たりにした、つまり神官長は近代的価値観のありかたをマインだけから受け取っていたのを、平民もそうであるというのを目の当たりにしていろいろ考えるところがあった…という描写のようにも思われたので、この話の社会構造面でのメインはそっちだったんだろうなと考えるしかない。
 しかしアレだな、この物語世界では裁判を宗教関係者が執り行っていたというのがオモロイ感じ。まぁ政教でいうところの教会だとか寺院だとかは政よりより庶民に近くて、トラブルシュートも請け負っていたのは歴史的にも間違いないんだけど、やはり正式な裁定機関としては政の部分が請け負っていたと考えるべきで、とはいえ、この物語、貴族がいるという設定ながら、宗教施設に放逐された貴族だけしか描いていないんで、政治を受け持つ統治側がそういや一切描かれてないんだよな。そういや契約に魔法が仕込まれていて不正ができないって設定もあったっけ。
 なんというか、日本のことを振り返ってみたら、二・二六事件発生の時代背景としてあった、貧乏だから貧しい農家は娘を売りに出したという昭和初期まで、こう割と親が子供をあっさり売るということがあったわけで、それまで食えない子供は奉公に出すのが当たり前だったとは思うんだが、その様子を知ってるひと、おそらく昭和あたりで途切れたとは思うんで、今更昔の奉公がどうだったというツッコみをする人とかいないだろう。というかその実態を知らない人、昔は厳しかったと言われてもポカーンだろうし、今も昔も親が子供を思う気持ちは変わらないというファンタジーを得てして人は信じがちなんで、わざわざ厳密に中世の親はこんな感じだったというのを史料をもとに再現して見せてもエンタメではあんまり益がないわな。というか結婚も子作りも昔と比べて一層自己選択権の範疇に入ってきてるのに、それに反してなのかそれゆえなのか、やれDVが深刻化しているようなんで、これまた現代の家族観も揺れ動いてきてる時代だとは思うんだが。

はめふら#6

 新カットばかりなのにまるで総集編を見てるかのような構成。おそらく攻略対象の五人との関係性の振り返り*2をしてたせいだからだと思うが、前世のシーンも開陳してきたし、いちおう今後の展開のきっかけもやってる。
 カタリナもこう前世の主人公に乗っ取られた割には貴族としての振る舞いが板についており、これ、母親自身のセリフに母親も変わることができたとあるように、母親がこう人間としてカタリナに己の見栄抜きで接しているのとか、フツーの家族を見ているようで微笑ましい。
 今の所そういう意図はあんまり感じられないのだが、カタリナに理想のリーダーの姿を重ねているんかなとふと思った。彼女が理想のマダムなのでは?というのは割と容易に考えられるのだが、そこからもう一捻りしてるのかなと。世界観からして少女向けロマンス小説が底本だろうし、そのへんあんまり中世との一致は考えなくてもよいのだろうけど、昔の貴族って別に当主が細かな数字を把握して利害調整してたわけでなく、こういう人間関係の構築が主な役割で、権益のやり取りの実務は家付きの吏僚(王室なら官僚)がやってたのだろうし、当主としては誰と手を結ぶのが得策なのか、それこそ裏表の損得勘定を考慮に入れてサロン活動やってたろう。そのへんWin-Win関係になるよう、忖度袖の下の世界なのであって、そのへんクラエス家は皇太子*3の婚約者であって位人臣を極めているだけでなく、カタリナは皇子たちの調停役として機能しており、能力の高い大臣の息子とも懇意なわけでもう盤石の体制。アニメでそう描写していないからつい油断してしまうのだけども、今までの実績というか状況からすると、もうカタリナが外を歩けばそれこそモーゼが紅海を割ったように人が通り道を作るぐらいの勢いになってるはずで、ある意味ミスリードのようなもんなんだけど、まぁそうやっちゃうとカタリナの奔放な振る舞いが制限されちゃうからねぇ。
 ま、そんなわけで、カタリナ、これだけの人間関係を構築してしまえば、王妃になった暁には自分のやらせたいことはちょっとほのめかすだけで周囲が察して動いてくれるし、それだけの実績を今積んでるってことになる。政治とはまぁいうなればそのようになるまでに人間関係をどう築くかってところのほうが重要で、しかもカタリナ、別に大義名分だとか宗教だとかそういう建前の部分でなく、相手の心情に寄り添った付き合いをしているわけで、これ、洋の東西、老若男女を問わず「士は己を知る者の為に死す」なのであって、自分そのへんを考えてカタリナに理想のリーダー像が仮託されてるのでは?とふと思ってしまったというか。

*1:ベンノのあの熱の入れようが本当ならば

*2:友達関係の女キャラもやってたが、なぜかマリアはスルー気味

*3:第三王子だが