司書#16#17

 側仕えを仲間に引き入れることに成功するの巻。ナレーションで信頼を勝ち得たとかそんな感じの表現をしてたように思うが、個人的にはちょっとミスリードっぽくて、主人公はいわば貴族としての義務を果たしただけで、側仕えたちがあんまり近代人としてのマインの人格に屈服したという感じではないような気が。あと、これはまぁ自分がキリスト教に詳しいわけではないんだけど、側仕えたちがマインの施しに感謝するのも、もしかするとマインを通じて神からの恩恵を得たと感じてた可能性もあって、しかしこの世界の宗教は、こう絶対唯一神というのではなく、むしろアニミズムに近いものがあると思うので、そのへんの中途半端さが気にならないこともないというか。要するに今回の話で言えば、マインに連れられて下町で食事をする際、神に感謝を捧げているシーンを見ても、食事にありつけるのはあくまで神からの贈り物という認識で、マインという存在はその神の代理人に過ぎないというそういう構造なのかなという。ただ、実際に誰が食事を与えているのかそんなのは今までのいざこざの結果だから、そんなに抽象的に考えてもしょうがないところではある。まぁ中世の人々も、なんのかんのいって泥臭い人間関係の中で生きてきたのであって、そういう教会のおためごかしをどれだけ信じていたのか、そりゃある程度の割り切りはあったでしょってなもんで。
 あと、それほど感心するってほどでもないんだが、近代的自我を持つマインが、神殿に入ってそのしきたりに惑い、逆に前近代とは何かを教わるって構造が面白いのと、そして前近代のシステムを把握したマインが早速近代的合理主義を側仕えに対して行使するって流れが、まぁこの作品らしいなという。で、それら前近代と近代とがはっきり別れているんじゃなくて、実際の歴史でもそうであったようにベンノの商業主義*1がその仲立ちをしてるってのもよくできてるっていうか。

文豪#2#3

 なんか今回はストレスなく視聴できた。前回なんであんなに気分がノラなかったのか自分でもわからん。今回の話、元ネタ読んでないから加工具合を云々できないんだけど、作者が自分の被造物に溺れていく様子はそこそこ楽しめたし、そのへん構造は走れメロス編と変わりがないんだけど、なんでだろ?。
 というか、浄化とかそんなのどうでもいい感じ。わけもわからず作品世界に取り込まれて苦難に遭うでも十分楽しめるような気が。

*1:どうもベンノははっきりとかぼんやりとかはわかんないけど、前近代と近代の両方を理解しているっぽくて、彼の立ち位置は狂言回しになってる