くまみこ 第4話

 あれだけしまむらのことを熟知していてなんで世間知らずなのか。
 まち達の周辺の紹介。正直どうでもよいエピソードなんだけど、側面を描写して奥行きというか広がりを持たせないと、少人数のかけあい漫才にしかならんのでこんなもんかと。
 そういやアイヌ云々で思い出したんだけど、ようするにまちは熊祭における熊と同じ立場なんだろうね。熊祭の熊とは、迷い込んだり狩ったりして生け捕りになった熊を神からの使い(贈り物)としてたらふく飲み食いさせて歓待した後、その熊を殺しその血肉は毛皮にいたるまで全員で分け合うというもの。まちは別に他所から連れてこられたのではなく、あの村の一族からの生贄ではあるんだけど、熊と同じように村で十分に良い思いをさせられ、その代わり村のために巫女として縛り付けられる(消費される)という構造になっている。おそらくこの構造が正しければよほどのことがない限りまちは村の外に出ることはない。たとえ高校は村の外に出してもらえるにしても、就職して村の外にでるというのはありえない。仮にそういう話立てにするのであれば、まちは多大な犠牲を払うとかそんなのになるはず。そしてその構造をなつはおそらく熟知しているはずで、しかもまちとなつは二人で一つという存在だろうから、極力まちを村の外に出さないという行動になる。まちがなつに嫁として送られたと考えることも出来るが、アイヌにそういう習慣があるとは思えないし、それは考え過ぎかも。とはいえ、別にこの作品がアイヌだけを参考にしているとは限らないから、そういう設定かもしれないが。
 が、村の因習と村興しというか、寂れ行く村落共同体をなんらかの問題意識をもって作品に仕立て上げているというのなら、そのへんの関係はもうちょっと話が進むと明らかになるんじゃないかとは思うが…。村の習慣を守ることが村の存続に繋がるという時代でもないだろうし、かといってそれを無視した村興しが果たして村の存続になるとも思えないわけで。村の濃密な人間関係は描かれているし、村落共同体を解体してきた資本主義に関しては今回ちょっと触れられたわけで、それらがどう対立関係にあって物語の方向性に繋がっていくのかってのは…まぁどうなるんだろうね?。