ぼく勉文乃回。

 どう考えてもキャラ配置的には文乃っちがメインヒロインの風格なんだけど、なんで桐須先生が人気投票で一番なんだろ?。しかし、このアニメ化だと文乃はホント作画崩れにくいし、そのへんいろいろ優遇はされてそう。で、彼女がメインヒロインであると考えると、まぁこの作品のメインテーマである勉強に関して重い負荷をかけるのも当然で、ついにそれが今回来たといったところかな。


 本題に入る前にとりあえず言及しておくと、緒方理珠の処理、これ、おそらく心理学専攻で間違いないんかなといったところ。オープンキャンパスの回でも好意的に描写されてたし、割と誤解されやすいのだが、実は心理学、バリバリ数学的処理を使う。なので、うどん娘の動機である、人の心の機微を理解したい…というのは残念ながら心理学では学べないわけだが、そのへん原作者もわかってこういう設定にしてるんだろう。今回の、数学科教授に見初められるというのを強化していて、決して数学以外の理系教科をクローズアップしてないところからもまず間違いないと思う。なので、うどん娘の場合、自分の特性にあった進路選択をしてるという形になる。


 さて、今回の泣きぼくろちゃんだが、いろいろツッコミどころ満載。ツッコみというよりはどちらかというと自分の場合、いろいろ考えるネタを投げてくれて面白いといったところ。そもそもこの作品、何度も言ってる通り、主張は「勉強しろ」でしかないので、そもそも学習活動に困難を感じてないキャラが無難にトラブルをクリアしていくという構図にするはずがない。ターゲット層は明らかに勉強を苦手としているはずで、そりゃキャラも勉強に対して苦手意識があるだとか成果が出ないというのを初期条件として設定される。そして試練を乗り越えていくという形になるのだから、まぁ矛盾はあって当然というか、まぁそうでしょ。


 実はずっと気になっていたのは、泣きぼくろちゃん、割と理系科目に対する忌避感が全く無かったこと。なのに成果が出ない。これ実は結構オカシイ。そこで浮かび上がる第一の視点が、(数学に限らず)「才能は先天的なものか後天的なものか」。これ、正解を先に言っとくと、どちらでもあるし、どちらでもないということ。もっとわかりやすく説明すると、本当の天才はまぁいるにはいるんだけど、たとえ天賦の才がなくても努力次第でその分野のトップを取れるぐらいになれる。もちろん逆も然りで、才能があっても極めなければ消滅する。ただ、万人がトップになれる可能性があるといっても、いわゆる「効果は個人差があります」というわけで、環境や努力の仕方がうまくハマるハマらないの要素があるので、事態はそう簡単ではない。


 数的処理について言わせてもらえば、数学というのは計算能力やそれを基礎として展開される数々の応用は、もうそれが積み重ねの連続なので、幼少時からの「慣れ」が必要。まぁあたりまえのことだが、足し算引き算が出来なければ掛け算割り算は理解、習得できないし、それらが身についてなければ数々の定理・公式が理解できない。しかも基礎的な計算能力は刷り込む形でできるだけ幼少時に身につけておけば忘れることはほぼない。逆に年がいってから初めて計算能力を身につけても、定着力が弱いからよっぽどそれを使い続ける環境にいないと忘れてしまう可能性が大きい。なので、その分野で大成する可能性はどうしても低くなる。


 で、泣きぼくろちゃん、今回の話でも幼い頃から人として計算能力が劣っていた…という描写でもなかった。意識として数的処理を毛嫌いしているわけでもなさそうだし、数学の勉強も人並みに時間をかけてた(買い物で購入金額を概算するだけでも計算能力の強化になる)だろうし、ならなんであんなに結果としてダメなのかということ。自分が不審に思っているのが、部屋にある天体望遠鏡。アレで星見てるんならそれなりに数的処理が磨かれてもおかしくない。地球は自転してるので、星を視野に収めてもどんどん移動してしまうので追尾が必要。ということは天体望遠鏡の設置方法や、鏡筒の移動のさせ方、今ドキだと電動式で自動でやってくれるのだろうが、それ使いこなしてるんなら概略は把握してるわけで、あんた本当は数学できるんでしょと思うしかない。まぁ自分もう一つの可能性としてLDも考えていたんだけど、見ている限りそうであるという描写は全くといってよいほど無かったから、なにが成果が出ない障害になっているのかよくわからん。むしろなんで文系科目が得意なのか?、父親はずっとあんな感じだろうし、なくなった母親も天才肌だったようだから、娘に構ってたという想像ができるだけの描写でもなかったように思う。だから彼女が文系教科を得意になる強化要素がどこにあったんだろうか訝しく思うぐらい。まぁ原作者がよっぽどキャラの造形に気を配ってるんなら実は彼女がそうなるのは理由があったと後出しされるかもしれんが…。
 とはいえ、やはりこれにツッコむのは的外れだとは思う。上述の通り、かわいらしい女の子が自分のなりたいものになるために、苦手なものに必死に取り組んで頑張る姿を見せる、そこに周囲の不理解という障害を持ち出して試練の厳しさを増しておくというだけの話だろう。今回の話で、泣きぼくろちゃんはお父さんを慰めるために頑張ってたのに、当のお父さんに拒絶されてショック…なわけで、不利な条件からスタートして彼女は頑張ってるんですよって話でもあるだろうし。その拒絶で心を閉ざしたわけでも、理系科目にやる気を失ったわけでもなく、ずっと夢に掲げてたようだし、やっぱ不思議だよなぁとは思うが。


 あと、これは作品のテーマではあるが、あまり意図していないように思われることの一つに、子供にやりたいことをやらせる信仰どうなんだろうなという気がしてる。今回も主人公にすらそのケが出てきてやっぱりなとは思うんだが、もう今の日本の経済状況だと、やりたいことがやれるのは、能力のアリなしでなく、たとえ能力があっても上級国民でなければほぼ不可能って状況になりつつあるし、逆に能力がなくても上級国民であればなりたいものにほぼなんでもなれるって状況には既になってる。高卒ならずっと3年で50%のものが新卒入社企業をやめてるし、大卒でももう大企業の正社員になるのが無理ゲーになりつつある。そしてこれは昔からそうだったのだと思うが、なりたいものになるために必死で努力してイス取りゲームに勝つというよりは、自分がなれるものの範囲をおさえておいて、その中からじぶんがやりたいことや面白そうなことを優先順位をつけて選んでいた。なので今回の主人公、今まで強く動機付けがされたなりたいものがないわけで、その状態なら就職に有利な学部を提示してもらってそれで判断するのは、それフツーの高校生の感覚だと思う。


 あと、能力の有り無し、社会に出るとクリティカルになりかねないんだよな。開発の才能があって経理の才能がないのに経理をやらせてくれだとか、その逆だと会社のパフォーマンスが落ちる。ならそれと同じことを社会全体に当てはめて考えてみたら?ってこと。人間本当にその分野で才能が有るか無いか判断するのは、育成次第でどうもなってしまうこともあって実は難しいんだけど、もし得意不得意があるんだったら、社会上の存在としてはそれを生業にして貢献してもらい、不得意だけど本人がどうしてもやりたいことは趣味の範囲で昇華してもらったらそれで済むわけで。得意分野があって能力を発揮してもらえばパフォーマンスが上がるのに他にやりたいことがあるからといってやらずにいるんだったら社会の損失だし、逆に能力がからっきしないのに、本人がどうしてもやりたいからといってそれをやらせてたら下手すると社会を壊すことになりかねないし、何より、その社会が壊れる状況、今この瞬間にも日本社会で国民全員が見せつけられている最中だと思うが。