とある科学の超電磁砲S 第24話

 結局のところ、協力したのは御坂周りとジャッジメントだけ。
 お祭りにして終わったなという感じ。何万体ものロボットだの、衛星軌道上からの絶滅兵器だの、STUDYとやらのどこにそんな資金力があったのか?と考えると空恐ろしい。そりゃバックに大きな組織がついてると考えるのが妥当だろうし、そうなるとなんで追い詰められて取り返しのつかないことができてしまうのかというのも疑問だワナ。そういった意味でなんか設定が甘いとしか。
 えーっと、もうこのお話が御坂とその愉快な仲間達が世界を救うという結論に向けて、エンタメ方向に振ってその他周辺が組み立てられているので、そのへんスピンアウトものに重厚さとか期待しちゃいけないのかもしれないな。悪が打ち立てられたと思ったら、その対立軸である主人公側は類稀な超能力をもつキャラで、しかもカネ持ちの支援つきとか、もうなんとも階級社会の粋を尽くした管理社会バンザイという構造で、その理屈付けが人工少女を助けるってんだからトコトン救えないというか。STUDY側のルサンチマンも、階級社会への怨嗟もなんも解決されず、それ、ほんと特権階級の感情がすべての原動力なのかという視聴後感しか得られない。能力バトルには迫力があるが、それもよくよく考えれば特権階級の見せ場にしかなってないんだよな。
 そういうわけで、このフェブリ編はどうにも後味が自分的にはわるいものになってしまった。まぁシスターズ編も、あれだけ御坂が暗部に行動を把握されていながら好き勝手振舞えるってところで、「組織に歯向かうことが御坂のLv5→Lv6への進化に繋がる」という暗部の思惑がないのだとすると、底の浅いものにはなるのだが、それにしてもそれなりの力を持ちながらも強大な相手に奮戦するというのはそれなりにゲームバランスがとれていたのかなと思わなくもない。自分の遺伝子というかDNA配列が個人情報にあたるのかどうかというのはあるが、意識しづらい自分の所有物に他者がどういう関心を示し、狡猾に利用されるのか?という問いかけは、この作品が中高生向きだとするとわりかし絶妙な提示ではあるし、クローン人間を作ってしまうことの気味の悪さはシスターズ編のほうが秀逸だと思う。
 シスターズ編とフェブリ編を対置させることで、一人で抱え込むか他者の協力を求めるかという違いをあらわしてるんだけど、これもフェブリ編のほうはあまりにもスイスイ行き過ぎで、これが御坂の精神的成長をあらわすものだとしても、やはり「相談すればすべてうまく行く」という構図がちょっと底の浅いものを感じざるを得ない。しがらみがすべてよい方向に進み、むしろ現実社会ではしがらみが行動を制限するってことのほうが多いのに、これは夢見過ぎ。黒子がシスターズ編では御坂を見守る立場に徹しさせて懐の深いところを見せていたのに、フェブリ編ではそういうのを台無しにするような流れになっていて、結果ドリブンなテキストに残念なものを感じる。正直シスターズ編で終わっとけばそれなりに視聴者にも考えさせるものを残して〆られたのになぁと思う。画竜点睛を欠くってところか。というよりは蛇足だな。
 いやまぁどちらもドリームっちゃぁドリームなんだが、自分的にはコミュニティにまったく省みられることがない当麻が、これまたいつもは飄々と他者を気にしないで慎ましやかに生きているのが、たまにその無能力を利用して巻き込まれた事情を仕方なく解決していくってほうが身の丈にあってるように思う。無能力というより能力キャンセルという能力を持っているだけの話で、彼もまたLv5に対応する高能力者であることに違いはないのだが、彼自身は能力ヒエラルキーとは距離をとって行動しているので、その生き方は確かに現代日本の構造とは対極の価値観であって、それなりに見るべきものはあると思うんだよな。が、御坂が高級和牛を箱積みで買ってきた描写を見たら、さすがに「これはアカン」と思ってしまった。
 というわけで、まぁこの作品は、こうなんていうか、見かけはかなりハリウッド的に作られていて、そのへん頭を空っぽにして視聴して満足できるんならそれはそれで一つの楽しみ方ではあるんだが、どちらかというと、回を追って開示されていく情報からいかにこの物語世界*1が気味の悪いものであるか、そして登場人物が自覚的もしくは無自覚にどういう風に振舞っているのかを読み取らないと、おそらく作品からのメッセージは受け取れないハズ。で、そういうメッセージを受け取ったとしても、それはあんまし日常を前向きにならないまでも現実社会に引っかゝりながらもなんとか暮らしていくっていう原動力のひとかけらにもならないことだわな。社会を良くしていくと考えられていることや、現場現場での奮闘ってのが、実は社会を良くすることには繋がらなくって、結局のところ特権階級に都合のよい管理社会が維持されたり、彼らの利益になるように収斂していくって構造がまぁ見えちゃうっていえばそうなんだけど、それを物語にわざわざ言われたって、ねぇ?といったところ。で、そういうのをほのめかしながら、でも〆では明るく振舞ってそれをごまかすってのは意地が悪いとしか。いやまぁ物語なんだからHAPPYENDで終わるけど、この終わりかたはウソだってわかるでしょ?みたいな。
 しかしアレだな。原作では一旦本編が終わって、新編が始まっているらしいが、なんか*2難しいらしいな。こうやって本編・番外編を視聴してなるほどゝは思うんだが、確かにやりにくそうではある。いちおうの本編の〆まではアニメ化したいんだけど、実際には…という態度が見えるんで、そのへん同情を禁じえないところはある。
 いやシーンシーンでの感情表現だの演出だのを見るとクォリティが高いのはわかるんだけど、テキストゝしてみるとどうかなぁといったところ。そりゃ場面場面では泣かされたりいろいろ心を持っていかれるんだけど、冷静に考えると、それはそうコントロールされているだけであってという話。おもろ+はつけるけど、ちょっと微妙だなぁ。

*1:すなわちこの作品世界のモデルであるところの現代日本社会

*2:どうやら新編の前に当麻は退場してしまっているらしいというのを目にしてしまった