サクラクエスト 第7話

 さすがに神社仏閣は燃やせないだろう。
 地元組もなんとか折り合いがつきましたというお話。個人のやりがいだの生きがいだのを重視するってのもなかなか難しくて、おでん探偵はともかく思い出の廃屋は落ち着きどころとしては順当かなといったところ。難しいのはその個人の思いとやらに出資するとかそういうところで、全体からすればそんなものにコストをかけるなという側面もあるし、こういう町おこしだとそもそも外から人を呼べるはずもないんだったら、コストをかけないんだったらその町はその人が維持してるんだからその意志を最大限尊重すべきなんじゃね?とも思う。地方の零細農家にたゞ生きがいのためにほんのちょっとにも産業にもならぬのに多額の補助金を出すのは???ではあるのだが、都市部では行政が町並み整備をやってるのを、地方では農民が自分の農地の整備のついでに周囲も手を入れていたりするわけで、じゃぁその補助金ってのは本当に無駄で本来出すべきものではないと断定してよいのか?という疑問もある。過去は野生動物が人里に下りてくるのを「人間が山林を開発したからえさとなるものが減少して人里に」という認識だったのが、今や「山にえさはふんだんにあるが野生動物が人がいなくなったから活動領域を広げて人里に下りてくる」という認識になっていて、なんのかんのいって昔は山の民が山林を保全してたんじゃんという。それが都市が地方からそういう人たちを奪って山林が荒れてきているということになるわけで、やれ(これも今となっては失敗例続出なのだが)コンパクトシティ構想とやらで山林からさらに人を奪ってその管理はどうすんの?ということになる。そうなるとやっぱり都市部が人を吸着しすぎている状態というのは異常なのであって、バランスの良い人口配置というのは本当は考えてこなくちゃならなかったわけだ。
 それが、その土地に愛着を持ち、できることならその地で生活したいという希望は、都市部は何の努力もなしに叶えられやすいのだが、地方では就職口がないからそれも無理、で、なんで衰退してるのかというのは地方の努力不足とか言われがちではあるのだが、オモロイのはふるさと納税で、いざ地方がふるさと納税で得たカネをあきらめてまで地元の産業の活性化のために返礼品に寄った活用をすると、都市部では減収で文句を言い出す始末。受益者としてどうなの?という視点はあるが、納税者がどこに納税するかを都市・地方の差別なくフラットに選択した場合、返礼品全振りの捨て身の地方を選び、なんの努力もしてない都市部は選ばれなかったのだから、いかに都市部が富の収奪装置として今までふんぞり返って自治体として何の努力もしてこなかったのかということが明らかになってしまった。
 だからそもそも人口が多いところに人は集まりやすく、しかも政府が産業に対して優遇措置を与えているからそれが加速しているわけで、地方が何の努力もしてないから衰退しているというのはまぁ自治体の努力云々をフラットに考えた場合何の根拠も無いことがわかってしまった。なら、今まで収奪の限りを尽くしてきた都市部が今度はそういう優遇措置を手放す必要があって、政府が強制的でなくてもかなり強引に人口の分散措置を講じなければならないというのは自明のことだと思う。そういうのがあって初めて、人のやりがい云々にカネを払うべきかとかいう問題が論じられるべきであって、この作品におけるキャラ達の奮闘ってのは言うなれば国の無策の尻拭いをさせられているって構造になってしまう。
 思い出の廃屋にしたって、まぁたまたま映画の撮影で燃やされるとなってそれまで忘れていたのを思い出したって感じになってるからそんなものかねぇともなるが、あれは廃屋を燃やすというのは都市部が地方から奪うということの記号であって、エンドロールに名前ってのも、そういう都市による地方の収奪構造を放置したままはしたガネの補助金を呉れてやるってメタファーでもあって、これ、よくかんがえたら辛辣な批判じゃね?とすら思える。これで映画で誘導されて人が来るようになったのならバーターとしてまだ救いがあるということになるが、映画が鳴かず飛ばずで集客効果がなかったということになれば、思い出の廃屋は燃やされ損ということになるわな。