[飛翔の手本]春宮つぐみのグラ鑑賞、あと関係の無いことをうだうだと。

 エントリー作成は結構しんどかった。なにせSSを取るのがめんどくさい。艦これだと一旦範囲を指定すると次からは範囲指定しなくて良いツールや、おりこうさんな秘書あたりだと範囲取得も自動でやってくれるから便利。が、そういうのがないので、Awesome Screenshotを導入してちまちま範囲取得をその都度やりながらSSを取得。この機能、ときどき背景画像だけを対象にしてゲーム画面をスルーすることが結構多いのでストレスが溜まる。カード絵などはそういう操作が必要ないのでとても気楽なのだ。







 とりあえずカード絵。最終進展すると差分ではなくキャラクター絵が一新される。



 バストアップはこんな感じ。学年二位というトップクラスの魅力もギリギリ入るようにトリミングされてる。




 表情も自信たっぷりで、躍動感溢れる絵のもの。ガルフレは第一進展や第二進展の絵のほうが魅力があって、最終進展の絵は今一ってのがあったりするのだが、これは各進展ごとの絵それぞれに魅力があるって感じはする。個人的には整っているという意味では第一進展の出来がよいと思ってはいるのだが、だからといってそれ以外の進展の絵が劣ると感じているわけではない。マイページ画面では各進展ごとのバストアップ絵が選択できれば…と思わなくも無いが、しかしまぁ最終進展だけというのでもそれほど不満は無いかも。
 なんというか昨日も述べたのだが、サーヴィスに勢いがあって組織が充実しているときの絵であることがよい結果になっているんだろうなという気がする。リンドリなんかもそうで、初期の絵がだんだんリデザを経て整っていくのが見て取れるので、それがすべてというわけでもないが、やはりカネって重要だよねとか。それも儲けすぎの段階だと逆にパフォーマンスが落ちるようで、こう勢いがついている間はどんどん報酬が増えるという現象が、仕事に対する意欲の向上につながるって理屈で、むしろそんなに儲けていない時期のほうが効果がよい感じはする。とはいえ、ある程度の集金力がつけば、組織の周辺周りまで充実するので、やはり総合的に充実しているほうが吐き出される結果のクォリティは全般的に高くなるのってのはそう。




 さて、ユニフォームなのだが、これ昨今の陸上競技は露出高めの傾向にある。これは露出というよりは機能の点においてこうなってると見るべきなのだが、なんでこういう布面積が小さいのが機能的なんだというのにはちゃんと理由がある。
 もう一つの対極にあるのがコンプレッションウェアであって、これは露出低いというか体を覆って締め付けることによる効果を享受ってことになる。企業の宣伝文句を信じれば、締め付けることによって心臓の血圧の負担を軽減することや、運動によって筋肉が振動するのを抑えるという効果があるということらしい。スポーツによってはユニフォームのアンダーにこういうコンプレッションウェアを着込むものもある。
 では陸上はコンプレッションウェアがもたらす機能をなぜ受けないのか?ということになるわけだが、これは結局のところウェアによる運動抑制を嫌ってると考えるしかない。たとえば関節を曲げる際、当然曲げる方向と反対の方向では布が伸びたり縮んだりするわけだが、コンプレッションウェアのように特に身体を締め付けているようであれば、布が伸びたりするときは運動を抑制するように働く。関節がある程度以上曲がらないように稼動域を制限するということでは、まさにテーピングがそれにあたるわけで、特に短距離走のように腿を高く引き上げるようにするようなものは、関節の稼動域を制限しないユニフォームにする必要がある。つまり、股関節の稼動域も含めてカッティングの深いハイレグになるだろうし、身体の捻りも利用するのであればチューブトップ、つまりセパレートになるだろうし、腕もしっかり振るということであればノースリーブになるというわけだ。



 ではなぜ水泳はいわゆるスパッツタイプであって、ハイレグタイプのが廃れたのかということになる。関節の稼動域を制限してしまうことが不利に働かないか?ということになる。自分は中年になって水泳にちょっとばかし入れ込んで、今でもちょっと泳いだりしているから実感できるところではあるのだが、例えば自分がクロールなんかをしていると、バタ足なんかは大きく足を動かせばそれはちょうど足を大きく下に振り切れば、進行方向に対して(船の帆のように)抵抗になるから、極力バタ足は小刻みにする必要があって、関節の稼動域は少なくなるのだ。
 で、これが一番の理由だが、やはり地肌より撥水性の布で体を覆ったほうが水の抵抗が格段に減るというのが大きい。自分はブーメランタイプの水着を常用しているのだが、水温が低いと足首まであるロングジョンと呼ばれる水着を着ることがあり、これを着ると確かに何秒も早く泳げる。
 じゃぁなんで上半身は覆わないのかといえば、クロールは手による推進力は全体の7割〜8割であって、手に関しては水を掴むために抵抗はあったほうがよいぐらい。
 まぁいろいろ理屈を尽くしても、では速くなるために水着の機能を高めればよいのか?というと、それは水着が泳いでるんじゃね?みたいな反省があって制限をかけているという段階。



 ちょっと残念なのがバレーボールで、特に基本と呼ばれるレシーブでは腰を落として膝を深く曲げ、どんなボールでも筋肉をバネのように弾かせる必要があるので、昔のようなショーツタイプのほうが機能的なのになとは思う。スパイクのときには肩周りの稼動域を制限しないようにむしろノースリーヴタイプのユニフォームになっているのだから、ボトムに関しては逆行していて何考えてんだ状態。ユニフォームを変えたから弱くなったという向きもあるのだが、個人的には逆で、弱くなったからあのユニフォームを着るようになったのだと思う。ではなんで弱くなったのか。
 それはなんで?と思われると思うのだが、コーチング技術が発達したからだと思っている。あと、データ解析の発達も。ちょっと前に'90年代に活躍した中田久美だとか大林素子あたりが今の全日本が弱い弱いとか言っていて、自分なんかは「コーチング技術が上がって選手のスキルも上がってるし、データ解析技術も上がって相手の行動パターンを蓄積して試合に活かせることができるようになっているのに、確かになんで勝てないんだ」と思っていたぐらい。で、中田や大林が活躍してた頃の試合を見る機会があって、それを観察してみると、あ〜なるほど、彼女達は自分で考えて試合をコントロールしようとしてるわというのが見て取れて、言っている意味が納得できたというか。要するに、今の日本チームの選手は思考能力が低下した単なるロボットなんだなということ。但し、ロボットの能力としては卓越していて、昔より身体機能とかテクニック自体はかなり向上しているわけだ。が、そういう高い能力を持っていたとしても、選手自体が試合の変化に臨機応変に対応できる能力がなければ、相手チームに解析されて対応されるだけのことなんだよな。となれば、身長だとかジャンプ能力などの先天的能力に優れた海外選手に勝てるはずがないわけで、まぁいかんともしがたいというか。しかし中田久美がそういう状況だということが認識できているからといって、全日本の監督になってそういうコーチングやデータ解析に頼りきった体質をがらっと変えられるとも思わないので、しんどい思いをするんだろうなという気はしている。
 というか、バレーボールに関しては個人的にはラリーポイント制に替わって断然つまらなくなったというのが実感なので、今そんなに試合を見たいか?と言われると微妙。サーヴ権を持っていてこそ得点できるって昔の方式のほうが粘りがあってむしろ見所が多かったわけで、そこを取り除いたら試合のかけひきだとかそういう面白い要素を取り除いた勝ち負けだけの味気ないものにならざるを得んわなというもの。



 個人的にはもうスポーツ観戦はあまり興味がなくなってしまっているのだが、それでも見て面白いスポーツはなんだろうかということを考えることがあって、それは視聴者に思考能力があったらおそらくバスケットボールなんじゃないかという気がしている。バスケほどチームメンバーの位置関係の対比が面白いものはないと自分は思っていて、しかしとても難しいのはその選手の位置関係を把握するのは試合をやっているプレーヤーですら難しいということがあるのと、スピードが速すぎて万人が試合の推移をダイナミックに把握するのは難しいんじゃないかという気はしている。あとは放映の問題。そういう構造を解決する映像化が困難なんだよね。反面野球なんかはピッチャー対バッターという構図が今の放映形式だと凄く絵が映えるから、テレヴィ放映にとても向いている。ところが、野球場に行って観戦すると、ピッチャーとバッターは蟻のようにしか見えず、投げた球種が何かとか、ストライクコースなのかボールコースなのかすら把握不可能な場合が多い。ピッチャー対バッターの構図が大きいから、他の選手はその時間以外は遊んでいる(別に選手が遊んでいるというわけではない)ように見えるからダイナミックさに欠ける。
 で、そういうバランスに取れたものがサッカーなのかなという気もしている。自分なんかは野球と同様、ボールを保持していない選手の動きは試合中無駄になることが多いし、なので退屈って感じなのだが、バスケに見られる位置関係による攻防という戦術面は面白いと感じる人が多いんだろうなというもの。バスケは五人のうち、一人でも遊んでしまう状況が現れると負けに繋がるわけで、五人の有機的な連携がとても重要で、だからこそ敵味方の全員が死力を尽くす構造が面白いと思うんだよね。そうでもなければ黙って個人競技を見てるほうがよっぽど面白い。