冴えない彼女の育てかた ♭ 第4話

 最初の案ではゲームのコンセプトが古かったんだな。
 ちょっと紙芝居ゲーの歴史を振り返ってぼんやり考えてた。もともとはゲームブックやアドヴェンチャーゲームに始まったと思っていて、それは要するにルートは一本だけのものだった。プレーヤーの選択は正しい答えを一つずつ選ばないと先に進めなくて、間違えたらそこで終わりというもの。その後、そのメインルートを裏側から(別のキャラの視点で)眺めたら別の風景が見えてビックリという作品が現れる。そして複線シナリオとなって、そのなかの一つにヒロインズ全員と仲良くなるハーレムルートなんて亜種が追加されて今に至ると考えてる。今までのこの話を振り返ると、ブレッシングソフトウェアは複線ルートではあるのだろうが、基本構造はどちらかというとメインルートが屹立するごく初期のアドヴェンチャーゲームに近いものと推測される。それが今回の話でようやく今ドキの複線ルートに進化したといったところのように見えた。
 今はヴィジュアルノベルという、紙芝居ゲーといっても選択肢で困るというものではなく、選択肢を選ぶというよりはその行為はむしろページをめくる感覚に近いものが出ていて、これは難しいところ。自分も選択肢があることを多様性とか考えて初期のころは歓迎していたんだけど、実際にやってみると間違った選択をして正解ルートに入れず、結果的にバッドエンドになるのはよく考えてみればストレスでしかないことに気付いて、あまりゲーム形式であることに意味を感じなくなってしまった。要するにゲーム製作者が考える一番美しい形は基本的に各ヒロインに一つずつなのであって、それ以外の選択肢で得られるものは劣化物を目にすることでしかない。選択肢があるということはメリットでも何でもなくて、劣化物を目にする可能性を増やしているだけなのであって、それならもう漫画小説ドラマ映画なり、分岐無しの完成品を目にするので十分という結論に達している。そうなると自分にとっての良いゲームとは、選択肢で導かれる結論のすべてがそれぞれ完成された各ヒロインENDというものであって、同じ世界観で同じ時間帯を共有する各ヒロインのエピソード集でしかない。三人のヒロインがいれば三巻分の物語になるが、共有部分をまとめて一本のゲームプログラム形式にしたパッケーヂということになり、おそらくブレッシングソフトウェアが作ってる同人ゲーもそれに近いものだと思っている。
 霞ヶ丘が二つのシナリオを選ばせるのは、現実の自分と重ね合わせているんだなというのはわかってはいたが、正直それより作品論とかエンタメ論のほうが面白くてかなり自分の中での重要度は下がってた。恋愛関連においてはなんていうか、回を重ねるごとに加藤の存在感が強くなっていて、これも結構面白い。作画でも台詞(演技)でも決して加藤が安芸に好意を寄せているというふうには描いていないようにみえるのだが、どう考えても加藤はどちらかというと無意識ではあるが強烈に安芸に惹かれてるという風に見えてしまう。霞ヶ丘も澤村も感情豊かに安芸に対する好意を描いているのだけども、面白いことに加藤の存在感にはかなわないといったところ。目立たない、特殊技能があるわけでもない、でも誰よりも強いという、「冴えない」という言葉から得るマイナスイメーヂを書き換えるほどのインパクトを描写していると思うので、これはなにげに唸らされるというか。敢えて描かないことが逆に強い表現になるってねぇ。