冴えない彼女の育てかた ♭ 第3話

 どうも安芸は正解を引き当てたらしい。
 しかしズルいよなぁとは思う。視聴者(読者)は霞ヶ丘の初稿も改訂稿も読めないから、どっちがよいのか何処にどんな問題があるのかわからないわけで、しかしそれを知らせるわけにも当然どちらの原稿を読ませるわけにもいかんわけで、これはうまい処理方法。
 まぁこれは妄想なんだが、霞ヶ丘はゲームシナリオを書くに於いてそれまでの自分の殻を破るぐらいオリジナリティを追究しようと思っていて、しかし頑張ってもそういうのを実現できなくて苦しんでいるのを安芸が見通すかどうかを試していたんじゃないかとか。まぁそういう自分の勝手な予想を抜きにしても、前回悪いところはちゃんと悪いといえる勇気を持っているかという台詞があったわけで、その伏線に対する回収と考えるとなるほど。いやまぁ安芸にしたって実際にゲームという形にしなければシナリオの欠点に気付かなかったという描写なので、おそらくゲームはほとんどやってない霞ヶ丘が自分の欠点に早くから気付いていて、安芸が気付いてないってのはちょっと考えにくいところではあるのだが、安芸は今までゲームをプレイするほうであって作る側ではないから、ラノベ感覚で霞ヶ丘のシナリオを読み、けっしてゲーム視点でシナリオを読んでいるのではなかったというのは納得できるところ。丸戸がそういう個々の状態に対してわざわざ文字に書き起こして整理しているのか、書き出さなくても頭の中できっちり整理しているのかはわかんないが、少なくとも齟齬がないよう条件を整える作業をきっちりやってる作家であるというのはわかった。ジャンルを問わず、作家というのはそういう作業ができているものではあるが、売れている作家がすべてその作業をきっちりやれているわけでもないので、なんとも人気商売というのは難しいところではある。そういう最低限のことがやれていても話として面白くないものもあるし、最低限のことがやれていてかつ面白い物語であっても市場に出して売れるかどうかは結局運であって、そのへんなんともいえんわな。
 しかし視聴者(読者)のもてあそびかたがうまいねぇとは思う。ギャグとシリアスの切り替えだけでなく混在のさせ方もうまいと思うし、それがテーマの根幹にも及んでいるから油断がならない。メタ構造が満載なのにくどくないのもどうやって灰汁抜きしてるんだろうなとわれに返ってしまうレヴェル。石鹸アニメなのは明白なのに、次にそのシーンが訪れるまでそうであることをすぐに忘れさせてるもんな。