終末のイゼッタ 第10話

 うーん、なんか節操ないなといった感じ。
 前回でいきなり首都が落ちたりしてポカーンだったが、今回はなんかもっと唐突というか。WWⅡだと、普通首都が陥落したら降伏って流れじゃなかったっけ?。普仏戦争はパリが陥落寸前までいって休戦になったし、WWⅠではもし独軍がパリを占領していたら戦争は終わっていたと言われてる。WWⅡではドイツの滅亡はベルリン攻防戦までやった末のことであり、日本もヒロシマナガサキ核兵器が投下され、降伏しなければ次は東京だという段になってようやく敗戦という流れ。日本の場合はなんか見苦しくて、政府が降伏を決めても軍の一部は抗戦を主張していたからなんだが、それだって首都が占領されて政府機能を抑えられてしまえばどっちにしろ組織的な反攻はできなくなるのであり、反抗勢力は沖縄戦火炎放射器で軍人・住民とも容赦なく焼かれたように、まともに扱ってもらえなくなる。今回の話のように隠し道を使っても、あの時代ですら軍用犬は実用化されていたわけで、そんなに簡単に逃げおゝせることができるわけでもなく、小国ならもう王宮脱出から即亡命の流れにならないとおかしい。
 しかしまぁそのへんイゼッタがこう自分が使い物にならないのにやたら姫のためにと主張しているのを見ると、あ〜、こりゃなるほど先の大戦の日本軍の(軍国少年がそのまゝ軍人になったような感じの)ありようを示しているんだろうなというのがもうありありで、ヒキのシーンはもう望んで特攻機に乗りたがる兵にこっそりその手段を与えるって姿がもういやらしくてね。要するにあの長髪の男が差し出した魔石はヒロポンかなんかのメタファーなんだろうなとかぼんやり思ってた。まぁ本当にそうかどうかは次回以降確認しないと断定はできないけどね…。
 というか、ゾフィーが魔石を集めて、それを人間が利用して兵器にっていうあのチャンバー状の装置はどう考えても爆縮実験装置なワケで、ようするに核兵器なんだろといったところ。イゼッタが戦略兵器であるというのは以前に述べたけど、まぁある意味核兵器ということなのかどうかは自分の中でも検討はしていて、しかし、どうしてイゼッタに通常兵器を使う戦術兵器の姿にしているのか、どうして人間の姿にしているのかを考えると、イゼッタ=核兵器と直結するのはあまりに安直過ぎて、やはりそこには核兵器にはしたくないというスタッフの意思かなんかゞあるのかと思っていた。イゼッタは最初の頃は槍を使っていたのであって、そこには近代戦に対する否定という意味合いが込められていて、それが次には魚雷になり、今回のゾフィーにいたってはV1になっているわけで、それは戦争の推移と共に近代兵器の進化に繋がっており、それは戦争のエスカレーションだとか、勝つためにどんどんヒューマニズムが捨てられていくって過程を描いてはいるんだろうけど、そのへんなんとも急ぎすぎというか、これでは伝わらないんじゃというスケジュールのように思える。
 まぁそんなこんなで、シーンだとか台詞だとか状況だとかいろんなものを鑑みるに、それなりにメッセージ性があるのかもという解釈はできるんだけども、そうだと考えると練りこみが全然足りないって感じ。例えば上記のようなことを念頭において、もしかして戦争の悲惨さを描きたかったんだろうかとは思うんだけど、しかし別に視聴者にショッキングなシーンを提示してヒかれてもしかたがないから表現を思いっきり和らげてみましたって感じで、じゃぁ緩和するんだったらディテールにそういうものを詰め込んで、表面上はそれほどキツくはないんだけどわかる人には十分伝わるような作りにはなってないわけで、もうなんか荒っぽい企画を立てた段階から勢いだけで作られたんじゃなかろうかというイメーヂ。