終末のイゼッタ 第5話

 ゲルマニア電撃戦をやらせるぐらいなんだから、あのような場所の攻略は山岳猟兵を使うのでは?。
 そういやベルクマンはイゼッタ護送失敗の責任をとらされないんだな。前回攻略に失敗した将軍が収容所長に左遷されてたのに…。それはともかくいろいろツッコみどころは多いのだが、もうそのへん世界名作劇場の体裁をとったファンタジーと割り切るしかない。戴冠式の宣誓に聖書を出してきたのはなるほどなとは思うんだが、その戴冠式に普通キリスト教的には異端とされる魔女を出すことに対しての戸惑いなんかは描かないのね…とか気になるが、そのへん日本人は宗教観は理解しにくいので省略といったところか。いやまぁ見直してみると戴冠式の聖職者は確かに誰も十字架を帯びてない。たゞ剣のみが十字架をモチーフとしたデザインになってたから、そのへん知らないわけではないけど敢えて省略したということなんだろう。
 今回のミソはイゼッタの弱点を周囲がどうフォローするかという点にあろうから、そのへんはまぁこんなもんかと。逆になんでイゼッタの能力が場所によって限定されるという設定にしたのか、その意図が知りたいぐらい。まぁだからこそ宗教なんだけどな。イゼッタの魔法がキリスト(神)由来のものなのか、それとも異端であるのかというのがはっきりしたら、例えばその土地がキリスト教の信仰心が篤ければイゼッタの力が発揮されたり、逆に発揮されなかったりという解釈ができるんだけど…。いやまぁ宗教がテーマじゃないんだろうからそのへんは…。
 ちょっと興味深かったのは映像技術の小ネタ。昔はフラッシュを焚くのにマグネシウムの燃焼を利用してたからバルブは使い捨てだとか、あの当時の映像フィルムは一巻き大体7秒ぐらいしか記録できなかったからそれはきちんと守っていたとかそんなの。戴冠式をなぜ夜にしたのかそれがよくわからん。イゼッタの魔法はインチキではないのだから、別に夜の暗さでごまかす必要はなくって、むしろ夜にサーチライトを使った演出で観衆を魅了しようとしたのはNSのやり方であって、それもサーチライトを保有し活用できる経済力あってのことだから、小国が夜に照明を利用した演出とかありえん。なんというかもう背景を描くのを省力化したんだろと邪推してしまう。群集を描くのが手間だから黒でごまかしていたとかそんなの。