終末のイゼッタ 第7話

 羽が舞うシーンはどう考えてもアレだよな。
 グラーフ・ツェッペリンが実働していたらというのはフィクションならではの描写。こういうのこそアニメでやる価値があるというもの。しかし脇を固める理屈付けがどうにもな。まづイゼッタの攻略があると見切ったというのがうーんだし、戦艦や正規空母は単なる戦術兵器ではなくそれ単体で戦略兵器にもなりうるものなので、魔女の秘密を探るための捨て石にするってのはちょっとありえないかな。いやまぁもうイゼッタそのものが戦略兵器として十分な効果を発揮しているんで、それに対置するってことでは納得はするんだけど。
 しかし今回のあの描写だとイゼッタとフィーネは体の関係があったとしか読み取れないのだが、フィーネも単なる世間知らずのお嬢様ってんじゃなくて、イゼッタに文字通り身も心も捧げさせるためのコトができる、それなりに物のわかったという人物であるらしい。いや、そりゃまぁブリタニアの王子に嫁ぐという決心を一度はしたわけで、王族としての政略結婚の意味がわかってるということなんだろう。そのへんあまりエロを想像させてという効果はあまり意味がなくって(いや、今ドキだと二次創作のことも考えてキャラ作りをする時代なのでそういう期待はもちろんあるとは思うが)、何かを守るために何を為さねばならぬか何を犠牲にしなければならぬのかを問いかけるという意味において、これは本作において評価される点だとは言える。
 ほんでもって別にこれはイゼッタを確保するためにフィーネが誑かしたという側面だけではなく、国というよりフィーネ個人に向けられるイゼッタの敬慕と奉仕に対してフィーネは何の返礼ができるのか?といったところで、結局のところ彼女にできるのはその身をイゼッタに捧げることだけであるという相互相補的な側面も見逃せない。そして、それは一般的には経済的運命的共同体である夫婦(家族)関係にも当て嵌まるわけであって、こんな気をつけていなければ素通りしてしまうような描写にこの作品の一番といってよいほどのテーマであるかもしれないこんな大事なことを込めるあたりがなんとも業が深いというか。