終末のイゼッタ 第2話

 二次大戦ものとは思えないほどの迂闊さ。
 空戦シーンはBf109を実機に似せて飛ばしてたのは圧巻。が、空飛ぶ人間を攻撃するって判断は???。少なくともパイロットが相手を人間と判断してたのなら当たるという認識がアホとしか。もちろん当たれば人間だから一弾でもクリティカルだが、普通当たらない。あとはイゼッタがエイルシュタット軍に警戒なく飛び出るところ。これもありえん。少なくとも相手を見極めてから助けを求めるべきで、そのへん姫は人目につかないところにおいておき、イゼッタが味方であることを確認してから救助を求めるって流れにしてもそれほど尺は変わらないはず。まぁ魔女といってる時点でリアリティ云々を言うのは野暮ではあるが、魔法が何のメタファーかというのがまだはっきり示されていない以上、それなりに気を遣うべきでは。
 で、魔法だが、祖母と放浪のたびをしていたというところからはジプシーを想起させるわけで、そのへんいくら卓越した力といえども軍隊と対峙させるべき能力とも思えないんだよな。あと今回エイルシュタットの敗残兵やイゼッタの姫に対する想いひとしおであることが示されているんだが、そういう国民の総意だとかそういうのかと思ったら、病床の国王のシーンで、精神論は否定されていたからそのへんのメタファーでもなさそう。正直結論として侵攻してくる敵に一矢報いる程度の力をご都合主義的に持たされているんだろうなというぐらいかな。
 難しいところだが、フィーネが身分を超えた思想の持ち主であるがそれは稀有であるというところから、あの世界設定で、じゃぁエイルシュタットはどのような政治手法であの国際状況を乗り切っていたのかというのが合理的に示されない限り、この勢力設定が現代日本の何を表しているのか、ほんでもってこの作品はその現代日本の何を問題としてどういうことを訴えたいのかというのが見えづらい。クロスアンジュと同様これも世界名作劇場という体裁を少しは被せているようなので、そのへんある程度直球勝負をしたいんだろうなとは思うが、これだけエイルシュタットの国民をイノセントに仕立てあげて大丈夫なのかという感じ。少なくとも日本は電通が言うとおり大半が愚かであるか欲深いと見るべきで、こんなに純真だったらそりゃ他人に食い物にされるんじゃね?ぐらいには思う。そのへん国民は愚民であると断定しきっているようなクロスアンジュのほうがまだ訴求力があるという気が。