霊剣山2 第4話

 新教設立は割と本気だったという。
 うーん、やっぱいろいろ面白い。これが日本の作品との差異によるもの珍しさなのかどうも自分で掴みきれていないところはあるのだが、ちゃんと社会問題に向き合って問題提起しているように見えるので、こういう作品を支持する層が一定数いる中国の奥深さを思い知らされる。念のためにいっておくが、別にこの作品ひとつで中国を評価するってのもアホらしくて、もちろん日本の萌えアニメに劣るバカアニメもあることはいちおう把握しているので、そこはやはり人口の多さによるところが大きいとは思う。とはいえ、一定層の支持層がいて、その分野が刹那でもジャンルとして存在してある程度の影響を与えるというのは日本とは違っていて問題も大有りだろうがうらやましいところではある。
 初めは法壇ってなんじゃらホイだったが、ヒキでの経済的基盤とか言ってたから、要するに主人公は故郷に新しい産業を興したってことであって、それを象徴的に法壇といってるだけのことだろう。村長の家が気の流れを乱しているとか言ってるのも、法壇が産業であるならばきっと村長はその新産業を興すのにじゃまな抵抗勢力というか既得権益を持っていたということのメタファーで、村人が荒々しく取り壊そうとしてたのもそういう構造に村人が嫌気を感じていたというふうに捉えるしかない。
 キャラの描き方も素直で、寝返った何均もいっぱしの志をもっていた修行者といった風体で、年齢を重ねてきた経験からの物言いも胸に沁みるし、そういや彼も登場時は色に溺れていると見せかけて、どうも日々の鍛錬というほどではないが、力を衰えさせるほどの堕落はしてなかったという感じだった。世の中を見通す力も充分で、このへん魅力的な大人をちゃんと描けているといった印象。
 村人もせっせと働く様子が描かれており、愚かであることゝ、勤勉であることは別物であるというのを示していてこの割り切りは新鮮だった。要するに民衆は愚かであることはもう変えようがないのだから、上位者がよき方向に力を導くべきという主張になっている。このへん、日本と比較するとオモロイのだが、いやまぁ日本を含めた西欧の教育ってのは基本的に近代的市民を育てるというのが根本にあって、それは市民が愚かでないように思索する力をつけようってものだ。が、昨今の日本の教育の有様を見てみると、これはもう酷い有様で、逆に自民盗政府は陽に影に四六時中いかに日本国民をバカにしてしまうかという愚民教育を仕掛け続けてきた。日教組も設立当時はそれなりに存在意義もあったのだろうが、いつのまにか文部省とタイアップしてゆとり教育という愚民教育に諸手を挙げて賛同している始末であって、輿石だとか会長のありかたを見ると結局のところ自分の出世のために教育を喰い物にしていたのねというのが明らかになる始末。中国での最近の教育の実態は掴んでいないが、まぁゆとり教育とは真逆であるはずで、そりゃ追い抜かれもするわなと深く納得する。とはいえ中国でも教員がワイロを要求するとか、モンペの有様は酷いという噂もちらほら耳にはするので、あまり状態がよいというわけでもないらしい。
 仙人が下界の事情に容喙するって仙人の本分に反しないか?とか思っていたけど、これは主人公にとっては仙人になるための最后の修行であって、これを機に下界との因縁を断ち切るってのは示されたからなるほどこれが杜子春のステージなのねと理解した次第。が、この修行が終わって下界との縁が切れたらこの話はどうなるんだろうなとか心配になってしまう。もしかして現世でいうところの政界の話になるのかねぇ。