霊剣山 叡智への資格(以下霊剣山2とする) 第1話

 こりはびっくり。
 いきなり本題。前期で主人公は一応の修行を終え、今期は故郷に帰ってトラブルシューティングという流れらしい。キャラデザは一新、雰囲気がえらい変わっていてどうなるのかと思ったのだがテーマが社会問題に直球って感じなので、アレ?といった感じ。この第1話を視聴し終わって思ったのが、日本終わってるなという。うーん、別にそれほど日本の状況が悪いという切実さというほどのものでもなくて、別に社会問題をアニメにテーマとして取り入れるのは昔でいえばアタックNo.1でやれ商店街の問題や沖縄の基地問題、モンペなども扱っていたのであり、今の日本のアニメだってメタファーとして十分に取り入れられている。が、やはり昨今の日本のアニメはこのような直球勝負の作品はあまり思い当たらない。かといってアニメ(コンテンツ)製作が悪いということはなくって、むしろ視聴者側の問題と思っている。どうせ社会問題に切れ込んだ作品を作っても、視聴者のほうでそういう作品はポイなんでしょ?。ほんでもって、この作品はWeb小説が原作であって、日本のそれはやれ現実社会は生き辛いからファンタジー世界に転生して思うまゝに暮らすって逃避モノが大半なんだから、違いに驚かざるを得ない。が、上述のとおり、日本が終わっているというのはあくまで状況を示したゞけであって、中国でも時代が下ればこのような社会問題を直球で描いた作品は飽きられて、現実逃避モノばかりが作られる状況になるかもしれなくて、これは10年単位、経過としては25年だとか50年後どうなっているか(アタックNo.1のTV初放映がちょうど50年ほど前)に亘って見守るしかなくって、50年後ってもう自分死んでるでしょってなもんだ。
 そういう状況が成熟社会のものって考えもあるんだけど、しかしTVで言えば、かたや成熟社会としてはもう何十年もの先輩であるイギリスはBBCの番組など政権べったりのものばかりでもなくって、それなりに批判精神が生き残ってはいるが、かたや日本は赤坂飯店で飼いならされて政権に都合の悪い報道は敢えてしないってんだから、成熟という言葉でごまかしがきくとも思われない。たかゞアニメの一作品で社会の違いを語るってのも馬鹿げた話ではあるのだが、まぁちょっとこの第1話を視聴してあまりの相違に日本と中国の民度の違いってなんだろ?と考えさせられたという。むしろこの作品を、いくら中国のカネとはいえ、日本の制作会社が作り、日本で放映するってんだからその意気は買いたいというか。