アクアトープ#5

 元アイドルの母親が居場所をかぎつけて連れ戻しに来るが…の巻。まぁこういう結末になるのは誰もが予想しただろうし、そういう意味では何のサプライズもないんだけど、個人的にはちょっとした山場だと感じた。いやまぁ自分、前作から日本社会は変わってきており、もうやりたいことなりたいものを素直に目指せって時代ではなくなってきてるというのは前にも述べていたんだけど、ようやくそっち方面の主張になってるのかなという風に読み取ってしまった。ただ、元アイドルは断然強い夢を持ち、それがある程度叶った状態であり、館長代理は今まさに夢…というかやりたいことを追い求めてる最中で、構造的には持てるものが持たないものを肯定するということになってるのかなという気がしないでもないが、でも結局のところ別にキラキラした夢とか持ってなくても人は生きていけるのであって、そのことを引け目に感じる必要は無いんじゃないのというメッセージが仕込まれているようなそんな感じ。これはさすがにそこがクライマックスだと思うのだが、母の、どうして水族館なのか?という問いに、元アイドルは、「わからない」、「忙しくしてると気がまぎれるから」とあって、いやまぁ別にこれは今ドキの若者的というワケでも何でもなく昔っからの「自分は何者なのか」を探るあたりで良く見たテーマではあるんだけど、これ、例えば就活だったら、面接でフツーこんなことを言ったらアウトなのであって、就職を控えてる高校生や大学生が視聴してたらピンときたはず。
 今までが、こう社会からのメッセージで夢を目指して頑張る若者素晴らしいというものが多かったし、例えば今まさに象徴的なのが五輪を目指して頑張る選手あたりなんかがもてはやされていて、そして就職でも志望動機に積極的な理由を求められ、まるで夢を追い求めて頑張らないのは人間ではないみたいな振る舞いを社会は半強制に近い形で押し付けてきたのであって、では仮に夢があったとしても頑張ればそれが全員実現するような環境であるはずもなく、競争社会で互いに争わされていたわけで、それがこの数年で、しかもコロナ禍が追い打ちをかけて破綻したというのが明らかになったと思う。夢を持てたとしても、ではそれを実現するような環境にいるかどうかが問題になる。五輪を目指すにしても幼少時からエリート教育を施されるような環境にいるか、保護者に理解があって支えるだけの経済力があるかなどの出生ガチャに勝つことが大切なのであって、まかり間違って貧困層に生まれてしまえばそもそも選択肢にどういうものがあるかなど思いつきもしないことになってしまうわけで、そのへん元アイドルなんかは典型的な出生ガチャ勝者ということになる。ならそんな夢を持てという主張は極めて罪が深い行為なのであって、夢を持ったとしても途中であきらめざるを得ない人間も多数いるし、幼少時から虐待を受けていれば、夢を持つことよりただ安全に暮らすこと、つらい現実からできるだけ距離を置くような生活をすることで精いっぱいな人間すらいるわけで…。
 ただ、元アイドルの、夢をかなえるための手助けという理由付けがどこまで本気なのかはちょっと不明かな。そういうこじつけがないと物語を前向きに進められないからそうしてるのか、それともやはり夢を追い求めていくことは大事だよ…という主張のもと、夢を実現させようとしてる館長代理の支えとして配置しているのかもしれずで、そのへんはストーリーが進んでいかないとどうにも判断できない感じ。でも、生きるために夢なんていらないんだよという主張を強くするんだったら、水族館は閉館、館長代理は失意に沈むという結末になるのかな?。もしかして夢はあった方が人間前向きに生きられるから持っていた方がいいけど、全員が夢をかなえるなんてできっこないのだから、実現しなくてもしょげるなよという結論にするのか、まぁそのへんいろいろキャラクターに仕事を背負わせてるから、どれが正解でどれが間違いってことにするわけでもないような気はするが。別に親の仕事を手伝ってたらいつの間にか別に積極的にそれをやりたいってわけでもなかったのだけどもそういう仕事をやるのが当たり前になっていたという形もあっていいわけで。そういう十人十色な構図を示すのかなって感じ。