無彩限のファントム・ワールド 第3話

 教育番組っぽいけど、これはこれで面白いな。
 なんというか、これはSFといってもサイエンティフィックというよりはサイエンスといった感じかな。そこまでというわけでもないだろうが、古い言い方だとハードSFとか。とはいっても、どこまで本当かというのはわかんない。というか、これは語る対象が科学に寄ってるな。大概のSFはサイエンス的知識を駆使して虚構の世界観を構築して、語る内容は人間の本質だとかドラマ性だったりするのであって、目的論的に科学を取り上げるのはむしろ二流という捉えられ方をされてたような気がしないでもない。
 で、この作品だとファントムというのはあくまで補助線であって語っているのは人間…というよりは人体というか、システム論に寄っているのかな。メタ表現が散見されるのでそのへん視聴者の存在を前提とした作りではある。まぁまだ3話なので以降の展開も待たねば…。
 今回のテーマは記憶ということだが、作中の手続き記憶についてはちょっと違和感がある。自分的には人間の神経系というのはどの個体でも同じ構造をしているとは考えにくいと思っている。例えば人間は視覚を失えば聴覚が異様に発達したりするわけで、その分神経の分布には個体差がある。しかもその神経構造は同じ個体でもダイナミックに変わっているので、前述の手続き記憶がそう簡単に移植できたりするのかな?という疑問がある。コンピュータを例にとれば、手続き記憶が可能であるというのは、要するにマザーボード(CPU)はどの人間でも同じであって、端末に接続されている周辺機器の違いこそが人間の個体差にあたるということが前提になる。しかし自分はむしろマザーボード(CPU)の違いこそが人間の個体差であって、だからこそ手続き記憶であるところのOS*1もそれぞれの個体に特有のものが用意されている(しかもOSもダイナミックに変化する)のでは?と思ってしまう。だから手続き記憶を移植するというのは基本的にはできないのではという推論。別に自分はそのような学説を見知っているわけでもなんでもないので妄想に過ぎないわけではあるが。
 …とまぁ、いろいろ考える素材を投げてくるという意味では凄く面白い作品。まぁファントムが出て舞先輩と旧交を温めるとかどうでもよいわけで、その部分のテキストに期待をしてはいけない。が、過去の記憶はた易く改変されるというのは、格言だとか与太話でもなんでもなくて、これは確か検証済みの学説だったはず。
 前回視聴したときに、ファントムが現れるということは人間もしくは人間社会の機能不全という捉え方であって、それを文化人類学的に解釈するのであって、精神医学的に解釈しないのかなとか思ってたが、今回の話を見る限りそのへんの区別とかしない模様。自分的には今のところ興味深く視聴してるけど、割と人を選ぶ作品かも。

*1:OSの文法自体は人間である限り同じ可能性が高いと考えられるが…