甲鉄城のカバネリ 第12話

 うーん、これだけコストをかけてそれほど人気がでなきゃちょっとしんどいな。
 直球勝負で、これはこれでちゃんと形にはなっているんだけど、振り返ってみたら結局のところ逃げてるだけなんだよな。もともと菖蒲のいた邦…というか駅がヽバネに襲われ、甲鉄城という機関車に乗って逃避行。そしてラストも首都からの脱出でどこへ逃げるのかは語られない。そういう結末を見て思うのは、カバネは人の形をしてはいるが、もしかするとグローバリズムのメタファーなのかなと思ってみたり。美馬の行動がわかりにくいが、彼も生駒と同様カバネリであって(馬と駒と共通性が示されている)、おそらく二人の目指している方向性は同じだったのではないかと思われる。父の将軍との血の繋がりがあるという設定ではあるが、おそらくそれはフェイクかミスリードであって、単に世代の違いを表しているぐらいの記号なんだろう。今の日本をみるにつけ、自民盗を初めとする年齢層高めの政治屋は他人にはグローバリズムの喰われるまゝにさせておき、かといって自分達は血縁や利権で固めて庶民をグローバリズムに叩き込んで得られた利益だけを貪り食って、決して自分がいたい思いはしないというところあたりがねぇ。
 グローバリズムの流れは個人やちょっとした組織で止められるほどの流れではなく、だからこそ無名が示唆していた農業をやって幸せに暮らすという社会を達成するのにどうしたらよいのか?という答えは用意できるはずもない。かといって、奇しくもトランプが大統領になってグローバリズムとは一見反対方向に寄って見せた(とはいえ、どうせグローバリズムから得られる利益を追い求めるんだろうけど)わけで、それは決して明るい未来を招来するとも思えないわけなんだが、少なくともあのグローバリズムを盾に世界中から収奪の限りを尽くしていた合衆国でさえ、もうグローバリズムから収奪されるのはゴメンだというプアホワイト層が無視できないほどの数いるってことがはっきりしたのは大きい。

 まぁどっちにしろ、ヒキで甲鉄城が金剛城をあとにして海に出るわけなんだが、海に出てみると後にするのは島のような描き方だし、行く先も島のような描き方。もちろんどちらも日本であって、行く先は具体的でないが、それは上記のとおりそれはどちらかというと逃げ場のないというのでは救いがないので行き先を理想的に描いているだけで、願望が入っているのだろう。どっちにしろこの最終回で無名も生駒もカバネリではなく人間に戻っており、行き先はカバネと向き合う必要がないということだけは示されている。そうあって欲しいのだが、そうあるためには今までの日本のあり方だけは変えなければならないからこそこういう描き方をしたのだとは思う。で、それはおそらく自民盗の特権階級の方々が盛んに叫びたてるグローバリズムへという方向性では決してない。
 確かに少年少女向きとスタッフが謳っているだけあってそんなに深みはないんだけど、悪印象はないなぁ。生駒は視聴者が同一視して追体験するキャラというよりは、現状の日本のあまりにもな惨状を憂えているスタッフの叫びを代弁しているのであって、本当にそうであるのなら素直な作りを贅沢なリソースでというのは同情こそすれ、またかよみたいな呆れは自分にはないといったところ。少なくとも対処のしようがない現状に匙を投げてしまって萌え描写でガス抜きされてたほうが楽でいゝやという態度よりは現段階では意気を買いたいところ。まぁ時代が下って日本がよくなるという方向になれば振り返ってどうにも泥臭いと感じてしまうんだろうけどね。というか、もし今の状態で日本が没落していけば、なんでこの作品が発する警告を受け流していたんだろ…ってことにはなるだろうし。