放課後のプレアデス 第7話

 なんかわかりにくいな。
 みなとがさっそく再登場してるし、うまくいってたと思ってたのにすばるとあおいが不協和音だしで一体何がやりたいんだろとか思ってたら、最后の一つしか存在し得ないはずのキーホルダーを二人とももっているという展開でそれは一体どういうことかと頭を悩ましてた。
 で思い至ったのは、相手が過去知っていた友人(親友)とは違っていても、今の関係性を大事にしようとかそんなのかなというところ。もともと今一緒にエンジンのかけら集めをしているすばるとあおいは別の世界の微妙に違った過去を持つ二人だってことは言われてたわけだし、とはいえ、それはもう二人にとっては気にならないという結論だったのではないか?とは思うのだが、そこらへんは思春期の不安定さとかそんなのかな。すばるがみなとのことを思い悩んでそれを案じたあおいが気持ちが通じ合わないことに拗ねるという流れなので、ストーリーが素直に流れていくと想像していた自分にとっては何を今更って感じではある。
 今回は過去すばるがなくしたキーホルダーをあおいが一緒に探してくれたが、見つけたそれを最終的に誰が所有したか?という違い「だけ」を示していたわけだが、ではすばるはあおいがどのくらいすばるが持つ過去と違った過去を体験していたらあおいと認識できたり認識できなかったりするんだろ?という問いも生まれる。そしてむしろその点はみなとのほうに課せられている。本作では別の世界の二人がたまたま同じ世界に召喚されたという形になっているが、別に同じ世界にいた二人であっても、一度分かれて別々の生活をすればその間に共有体験がなされないわけで、別々の人格形成が行われる。そして再会したときに昔とは違う友人の姿を目の当たりにして別人であると認識したり、そのときに過去の出来事が共有体験であるにも拘らず、過去の記憶はその人その人の都合によって美化されたりそうでなかったりして改変されて、決して同じイメーヂを保つものではない可能性も大きいから、現実社会ではそのようなものをこの作品では視聴者にわかりやすく別の世界から呼び出されたという設定にしているのかも。
 しかしよくわからないのは、本当に今回が「相手が本当に私が過去かけがえのない経験を積み重ねてきたのと微妙に違っていても、今の人間関係を大切にしよう」というメッセージ性をもつのなら、こんな微妙なSFネタを仕込む意義があんのかということ。逆に今大切にしている相手が微妙に違う過去を持つ実は別人であるかもしれないのだから、気にしても仕方がないのだが懐疑的に考えるようにしようという風な雰囲気にするほうがSFネタとしては輝く。いやまぁそのへんみなとに前回起こった出来事あたりに重ねている(おそらく前回で別人格だった白みなとゝ角みなとが同一化したという可能性が高いと自分は思っている)のだろうから、いろいろ仕掛けを入れ込んでいるんだろうなとは思う。が、自分もともすれば今回の話は流し見して内容はほとんどスルーしてしまうところだったから、視聴者のなかにはすばるとあおいが別世界の住人同士であることをはっきりわからず見続けているのもいようから、そのへんちょっと混乱しそうなところではある。
 今回の話を解釈するに当たって、ハルヒの「五分前宇宙論」を連想してしまった。この世界はすべて五分前に生成されたものであって、それより以前の出来事、それに関する記憶や兆候などもすべて五分前に生成されてそうであると知覚できないようになっているというもの。まぁ考え方としては面白いんだけど、ヘンゼルとグレーテルが道しるべにちぎって落としたパンくずを五分前宇宙論自体が自動的に拾ってしまうので、その論が正しいか間違っているのかそもそも証明することができないし、そうであるとしてもそうでないにしても、それ以外の宇宙を成り立たせている理論は別に少しも毀損させられないのではっきり言ってどうでもよい考え方ではあるんだよな。SFネタを混ぜ込むことで話としての質があがるのならともかく、感動ポルノに話を仕立てるより視聴者への訴求力はかえって落ちるように思うから、なんかもったいない気はした。