ろんぐらいだぁす! 第4話

 今ドキのメイド喫茶って、客も猛者であることを要求されるのか。
 そりゃそういうのを目的に行くんだろうから客が店を選ぶというよりは店が客を選ぶんだろうけどね。もう今では行こうとは思わないが出端のころ数回行ったことがあった。店員は普通の喫茶店と同じような接客だったかな。最先端の秋葉でもお帰りなさいご主人様ぐらいが関の山だった気がするが、正直そういうサーヴィスはそれほど自分にとって必要ないから、美味いコーヒーを普通の値段で、せいぜい店員がコスプレする程度で構わないというのが自分的な要求度。まぁそれはともかく。
 主人公がロードバイクを注文、その金策ということで萌え回。原作者も読者のためにこういうのを編集者に書けといわれているか、それとも原作者自体がこういうのを書きたいと思っていたのかな。ヒロインが中華料理の手伝いってのは「のりりん」でもそうだったのだが、こっちはやっぱやりすぎのように感じる。ドジっ娘こそが集客要素であってという視点や現代メイド喫茶事情って視点がないと、またか…みたいなダレしか感じなかったろう。とはいえ、食器を落とすとか赤面オプションとやらは慣れてわざとらしさが出てくるとアレだからオイシイ期間は短いとだけ言っておく。いや、それ目的の客は別に新鮮さがないのは承知だろうからやらせとわかっていてもカネを払うとは思うが。
 自分自身は大学時代はまだランドナーやスポルティフにしか興味がなくって、ロードバイクはホントガチの競技用という認識で全然といってよいほど興味がなかった。今のようにむしろツーリングはロードバイクのほうが多くなっているほうが驚くべきことなんだが、実際今はかつてもっていたスポルティフを手放して、ランドナーなどの昔のツーリング車は一台もない。で、これからが本題だが、自分の自転車趣味が再燃してきた2000年ごろ、大学の自転車部御用達の昔ながらの自転車屋のメニューには、やはり昔ながらのロードバイクのフレームの注文書みたいなのがあって、それがまた昔と変わらぬ値段だったのに驚いたのを思い出したのだ。大学の自転車部は、いわゆるロードレースというよりはツーリングが主だったこともあって、大抵自転車屋でそれなりの完成車を買う人が多かったように思う。そのような用途に各社例えばもう片倉シルクはなくなっていたが、宮田だとかナショナル自転車などは6万ほどで買えるものを出していた。もうちょっと奮発して8〜9万、贅沢できる人は10万超えの完成車がラインナップにあったが、それはむしろ自転車ツーリングを趣味として続けている社会人用。で、やはり今まで逸れて申し訳なかったが、ランドナーやスポルティフのフレームオーダーを受けている自転車屋は昔はそこそこ各県にあって、やはり大学生向けだからそれはセミオーダーで2〜3万ぐらいからあったのだ。で、ロードバイクのフレームもそのくらいから。もちろん各パイプの長さを自由に設定できるフルオーダーなら5〜6万ぐらいからであって、それであっても今のようにメーカーでジオメトリー決め打ちの吊るしのフレームの癖に一本やれ50万とか60万ってのは実は過去を知っていると仰天する値段ではある。昔は部品も安くて、ホイールもメーカー完組みでなく、リム・スポーク・ハブを選んで自転車屋か自分で組むのが普通だったから、部品を選べば前後一万以内で収まっていたし、ハンドルやペダルも千円台から二千円台が普通だったので、結局一切合財まとめて払ってもやはり前述のランドナーと同様、5万ほどで完成車が手に入るぐらいの金銭感覚なのだ。もちろんその程度のレヴェルだと車重は今とは比べ物にならない。12kgや13kgは当たり前で、ロードバイクでも10kgを切るためにはナンボパーツにカネを払えばよいのかというレヴェル。高級パーツも今より重かったから、ドリルで穴を開けて耐久性も信頼性も犠牲にして肉抜き加工を行ってそれでようやく9kgとか8kgにするという世界。そしてそういう自転車は大学生にはお呼びでないし、もちろん乗りを重視する社会人ホビーライダーにもお呼びでない世界。
 で、ツーリングが主な大学生は本体にさらにツーリングバッグ、ツーリングキャリア(これは前後で2万超した)がゝゝり、さらにストーヴや調理器具やテントが要った。それを使って出先では自炊をし、旅館などに泊まることもせず野宿というかテント泊をしたのだ。輪行をするのなら自走開始地点までの移動料もいるしそれはそれでカネがゝゝる。
 対して今のツーリングのやり方は、やはり昔と比べればコストパフォーマンスは悪化している。ロードバイクを使って軽装で高速移動するというやり方で、これは昔もこういうやり方がなかったわけではないが、カネのない人間がやることではなかった。当然出先での宿泊は施設を使うことになるし、調理器具を持たないのだから自炊でなく外食前提になる。まぁ今となってはコンビニ弁当やスーパー弁当もあるから、自炊用具を持って出先で調理するのとコストはどれほど違うのか?と言われるとそれほど差があるようにも思わないが、せっかくの旅行だしグルメを味わゝないとゝいうことになればそれなりにハネ上がる。宿泊費はどうなんかな?。自転車ツーリングの場合はテント泊がお手ごろだったが、オートバイなんかには昔はヾイク宿という文化があったりして、値段は千差万別だが1000円ほどで泊まれるところがあったりもした。そういうのは数少ないからそれを当てにしてゝントを持参しないという選択はなかったし、テントを持っているのならいくらバイク宿が安いといっても持っているテントに泊まると宿泊費は0なのだから結局バイク宿はあってもなくても一緒ということになる。昔は素泊まり千円台という安いところもあったようだが、自分が大学生の頃にはすっかりなくなっているぐらいの数であったし、それでもテントを利用するのだったら一週間も使えばテントにかけたコストは回収できてしまうので、宿を探す手間だとか余分なルート設定をしなくてはならないことを考えたらテントに勝るものはないという感じだったはず。ところが、今しんどいのは割とテントを張る場所が昔に比べて限定されてきているらしいという問題は出ているらしい。
 雑多なことをつらつら書いてしまったが、この作品だと要するにカネを使って快適なツーリングライフを!ってことだろうからアレだが、昔はそれほど各単位にかけるカネは少なくて済んでましたよ、そのかわり重くて遅くておそらく女性が嫌うところである汗臭くてお洒落でないってところはあったろうけどなというところ。そして完成車を5〜6万で買えた時代を知っていた自分からすると、やはり10万ほどで買えるロードバイクを安いと提示しちゃうのは、わかっていても抵抗があるんだよな。5〜6万って言ったけど、昔は大学の自転車部にいれば先輩やOBが使わなくなったフレームや部品をタヾで譲ってくれたりしてたろうし。それをなんていうか、結局のところ自転車に限らずコスト増方向に社会が変化していくって風潮にちょっと耐えられないところがあるんだよ。かといって、自分がいくら嘆いたところで時間が巻き戻って昔の状態になるわけでは絶対ないし、そうはいってもいろんな方法が開拓されて昔よりコスト減になっていることもあるし、それでもカネのない人間がヽネが無いなりに努力し、それに追随する人間が増えれば、当然サーヴィス提供側も利用されないコスト高のものよりは利用される低コストに商売を切り替えていくだろうから徐々にそういう方向になるし、利用者もしくは社会全体の富が増える方向であれば、コスト高の方法であっても利用側の余裕がそれを上回ればやはり社会はそのように変化していくわけで、悩んでも仕方のないこと。原作者も自転車の楽しさを伝えるというのが動機であって、決して業界にカネを落とさせようとするのが主眼ではないだろう。とはいえ、アニメ化に際してはそういう思惑が働くのはまぁそうだろうし、で、そういうのを素直に流してよいものかどうか、所詮アニメだろうから社会的影響力はそれほどでもなくて目くじら立てることも無いんだろうけど、それでも業界が涎を垂れ流している構造を隠すというのは社会的責任としてちょっとは考えなくてはならないんじゃね?というのが、自転車を題材にしたアニメが視聴できるという幸せからすると、もうほんのちょっとでしかないのだけども、やっぱり引っ掛かって仕方がないんだよ。なにせ、この構造は、(特権階級)業界が潤うために庶民はなくても済むサーヴィスを楽しめ、そのサーヴィスにカネを払うためには安い労働力として使い捨てられろ、で使い捨てられるという部分を隠すためにやれ男女共同参画社会だとか一億艘活躍社会だというおためごかし、労働を通じての自己実現*1という名のやりがい搾取っていう現代日本のたまらなく醜悪な部分と一致するからねぇ。
 いゝジャン。ネタ扱いにはなるけど別にブルベに折り畳み自転車で参加している人はいるし、ロードバイクでないと実現できない自転車の楽しみなんて自転車が実現できる楽しみの総数に比べるとほんの一部だよ。自転車はあくまで自分が何かを楽しむための道具でしかなくって、むしろそういう態度がこの作品のウリだったんじゃん。で、本当ならその自分が楽しむべき何かは自分で探すべきであって、自転車を入手したからそれが楽に手に入るってものでもないんじゃネ?という感じ。かといって10万ほどのロードバイクを提案するのが悪いとは全然思わないし、むしろそれは安いロードバイクでは相場だよというのはあるが、やはりアルバイトの萌え描写が結果的に招くことの安易さを考えるとちょっと火がついてしまって自分でも見苦しく取り乱してしまったかなというところ。

*1:働くことって素晴らしい、労働は楽しいよ?という目的を隠した悪魔の囁き。