たまゆら〜hitotose〜 第10話

 こいつらは本人が落ち着くまでほっとくとか、見守るとかという選択肢は無いのか。
 満を持してのかおたん担当回。道に迷うかおたんを周囲が気遣うのはなるほどではあるんだけど、冒頭の一言ツッコみにもあるとおり、判断に迷う。この作品が女子高生主体のうだうだアニメだというのはそうなんだけど、フツーそういう形のものは大きなお兄さん向けというものが多い。が、女同士のわいわいキャァキャアは女の子向けという雰囲気が漂う。で、進路だったらいずれ巣立つために自立する過程が描かれるハズなんだけど、「いつまでも一緒」という前提があって戸惑う。が、地域興しをテーマにしており、その「地域」というのはそこに住む人あってこそというのがあるだけに、なるほどこの女4人はこれからもずっと竹原を拠点に人間関係も維持していくし町興しに貢献していくんかな?と思うと、なるほどではある。しかし、田舎を捨てゝ、都市部に逃げ出した昔の若者はこういう濃密な関係を嫌ってなかったっけ?。さて、今ドキの中高生だと男でもこういう暑っ苦しいフォローをありがたがったりするんだろうか?。
 さて、かおたんの「やりたかったこと」なんだが、聞いた瞬間はズコーって感じだった。ちょうどサトジュン作品で言えば、自分がアニメにハマったきっかけ(の1つ)となったカレイドスターの最終シーンを髣髴とさせる。確か、あのラストって観客もステージにしゃしゃり出て「みんなで作るステージ」なんてのを演出してた。まぁ理屈はわかるんだが、しかし…といった感じだ。
 こういうイヴェントが成り立つのは基本的にクローズドな環境であって、それを前提に行うの(だと思うんだけど)であればむしろ諸手を挙げて絶賛したいぐらいだ。そう、村全体で100人ほどの離島だとか隠れ里のような村とか。少女4人を生まれたときから地域全体で見守っていて、彼女達の成長をわが子のように思える住人ばかりのコミュニティだったらわかる。が、麻音は中学からだし、ぽっては竹原に来て一年経ってないわけだろ。もちろん麻音も付近住人に見守られている描写もあったし、ぽっての家族も元は竹原に住んでいたわけだから「あのおばあちゃんの孫がこんなになって…」という見方をされるだろうから、全くの新参者ではない。しかし全くの内輪のイヴェントをやるわけなんで、なんかオープンなものを予想してしまって悪い予感がしてしまう。
 まぁこういろいろオヤと思う部分はあるのだが、一番の見せ所であるかおたんの進路への不安は全くそつが無かった。(嗅覚担当だから)香りを趣味にしているけど、アロマセラピーというのもなんだかなぁというのは職業としてやっていけるかどうかという不安だとしても、好きなものだから安直にそういう進路にしてよいのか?という疑問だとしても、感情と現実との摺り合わせの部分は、自分のようなチューねんのオッサンにもわかる感覚だ。ついつい「そうだかおたん、その感覚はおそらく正しいぞ」と応援してしまいたくなる。作品の特質上、きっと彼女達4人の進路はやはり五感に関連したものになっていくという流れになる*1と思うんだけど、こういう寄り道?立ち止まり?ポイントを作っておくのは手堅い。

*1:というか、その人の持っている特質を活かすというのがこの作品のあり方だと思うので、面倒見のよいかおたんは芸術家をプロデュースする立場、そうそう、アイマスのプロデューサーのような仕事をしてもおかしくはない。