きょうはたまゆら曜日なんだが。

 いやぁ、ご当地アニメにかこつけて町興しについてうだうだ考えるという企画だったのだが、なにせたまゆら本編が町興しというよりは人々の心の中の襞に打ち震える作品になってしまっているので言及が難しくなってきた。正直繊細なやり取りに感動してしまった直後に荒廃した地方のモラル崩壊や経済問題を考えるには情緒が安定しないと考えにくゝてしょうがない。
 地方の因習ってところでは神様ドォルズがこれまた近代化した日本の風習との対比で描かれていることもあり、ほとんどの現代人が都市の論理で物事を考えざるを得ない状況になっている今となっては、地方の風習に根拠のない憧れを抱いたり、かといってその土地ではむしろそうしないとうまく回らないことを都市の常識で糾弾すべきことと断じてしまうことが多々あって、そういうのをどう判断したらよいのか迷う。
 まぁ昔だとその土地の風土にあった作物を作っていかないと生活できなかったこともあって、その土地特有の生活方法ってのがあって日本全国において千差万別であった時代があったわけだ。で、近代化するにあたって共通ルールに従うことが効率的な生産につながり、生活習慣も画一化していき、ローカルヽールが消滅していくことになった。地域によって最適なやり方が違うというのならそれぞれの地方で一番いゝ方法を模索してくださいってのはわかる。が、技術も発達しどこへいっても同じ生産が成り立ち、商売のやり方も差がないとなれば、あとは規模勝負にしかならない。つまり、規模が大きくて効率化しやすい都市部ほど発展もするわけだ。日本全国で作る規格やモノが同じなのであれば、むしろ都市部のほうが人口が多いだけに多様性が生み出されるという、なんとも矛盾した結果にしかなっていない。そりゃ地方にいても都市部と同じものが手に入り、しかも多品種なものは地方は消費者がすくないだけに商売として成り立っていかないということになる。都市からの距離が離れているから独自の文化が発達するんじゃなくて、もう既に大都市が作り出すモノの消費地としてしか存在価値がなくなってしまっている。だからたまゆらでも大都市から流れ込んでくる近代化以降の商品ではなく、日本が地方独自の文化を持っていた近代化以前の文物でしか勝負できないという構造になってしまう。だから、近代化以前の遺産を捨て去って都市部と価値観を共通化した地域は、都市との差異化を図るのが難しい。
 そういうところが差異化を求めるのであれば、試行錯誤しかない。それも意図的に都市部とは違ったものを追い求めていかなくてはならないのだ。そうでなければ他人の後追いにしかならず、どこかの二番煎じにしかならない。結局のところ都市部から流れてくるものに頼るのが一番効率的ということになり、そしてそれは「変わらない」ということの永久ループになってしまうのだ。先人が試行錯誤の末にその土地に見合ったやり方を見つけたというのが近代化以前の文化だというのに、それを近代化以降捨て去ったという事実に打ちひしがれるしかないだろう。そういう先人達の苦労をそれでも敢えてやってみて特有の文化をつくりだしていくのか?。なるほど捨てるは易しではあるわけだ。
 TPP参加なんてのも日本特有の経済文化を捨て去って、合衆国のおこぼれに与ろうってなわけだ。あとで取り戻そうとしても取り返しがつかなくなると思うんだがね。というわけで、地方の復権どころか、日本であることすら捨て去りましょうって世の中ではあるわけだ。なんか嘆息するしかないってトコか。