主人公はむしろゲルサドラなんじゃね?。
いわゆる「原作」でのゲルサドラの立ち位置がわかってないので困惑。赤いクラウズと青いクラウズとの対立もなるほど現代日本を表現する一つの方法なんだが、仮にクラウズを実行権力の一つと考えると、描かれていない権力保持層があるのでなんとも片手落ちというか、むしろ全落ちじゃね?とすら思う。特定の人間に権力を集中させて、その他多数の国民はそれを追認することしか出来ないというのが日本のいわゆる民主政治とやらであって、そういうのは仮の意味でも本当の意味でも民主主義とはいわないのだが、いちおう全ての選択肢や権力を分け隔てなく民衆に渡し、それに伴う利害関係の衝突はあくまで政治で解決するというのがありうべき民主主義であって、そういう現代日本とはまったく違う世界のことをこの作品では描いていると考えると、これはこれでありとはいえる。
個人的には敷居を低くしたから投票率が上がるってのはむしろ悪夢でしかないという気がする。自民盗が民主盗より政権を移譲されてから以降、投票率が下がったことを嘆く人もいるのだが、自分の中では敷居を低くして投票率が上がるのと比べたら、全然正常な判断(どうせ勝負は決まっているし、万が一民主盗が政権をとることになっても政治の中身は自民盗と変わらない)と思えるので、なんか複雑な気分。敷居を低くすることによって増えた層は敷居を低くする前はどうだったの?、敷居を低くして入ってきた層の判断はまともなの?ということを考えると、それが別にいけないということではないが、投票率が向上したからまともな選挙になると考えるのはあまりに愚かなんじゃないかとは思う。いやまぁこの件だって、別にこの作品は全くの理想社会ではないが、決して現在の日本をまがりなりにでも正しく描こうとしているというのではなく、ちょっとまともな日本というのをモデルにしてると考えると、そう目くじらを立てることもないわけなんだが。