彼女がフラグをおられたら 第10話

 実はまだパーティーメムバーが揃ってなかったらしい。
 で、その新しいメムバーの担当(紹介)を次回やるようだから、パーティーメムバーが揃ったところで第1期が終わるということか。今回は学園祭で主人公がモテモテという描写をやって時間を潰していたからなんだかなぁといったところ。エピソードは見ているこっちが恥ずかしくなるほど萌え描写ばっかりで、キャラにも馬鹿馬鹿しいと言わせていたからわかってやっているっぽい。
 こんな視聴者を辟易させる展開をわざわざ持ってきたのはどうしてなのか?という事自体を視聴者に考えさせ、意図を探らせるという構造だと思うが、なんだかなぁといったところ。正直桃太郎の構造でいうところの、きびだんごでお仲間を引き寄せる(きびだんご無しで都合よく仲間になるのがまたキツいところだが)ところだけ見せてお終いっぽいが、桃太郎の物語自体は実は鬼退治を詳しく描いている(鬼が何者か詳細に語られているわけでも、鬼を退治するときに桃太郎がどういう機転を利かすのかゞ語られているわけでもない)わけでもないので、そういう意味ではこのアニメ作品の構造が桃太郎そのものである可能性をぬぐえないのではあるが、果たしてそれでよいのか、なんかちょっと疑問に感じるところではある。
 この作品がフラグというものをテーマにしており、おそらく原作者もサブカル作品(ゲーム・ラノベ・アニメ・漫画)におけるフラグに対してそんなに好意を持っているわけでなく、だからこそこの作品でフラグを超克してみせようかとでもいうんだろうなと思っていた。基本サブカル作品は王道というかテンプレにしたがうだけのオリジナリティが無いものばっかりと言ってよく、かといって作者がそれでよいと思っているわけでもなく、作者がサブカル作品に親近感を持っているではあろうが、やはりそれなりのメッセージ性を持つ作家はその作家性を前面に出す前提としてまづ売れる、世の中に受け入れられる必要があり、仕方なくというか、とにかく目にしてもらう・手にとってもらうためにサブカルフォーマットに従うという要素は大きいだろう。現実社会はサブカル作品のようにフラグをおっ立てればいろいろなことが解決できてしまうという単純な社会であるはずも無く、フラグで女の子にモテモテゞ、いろいろなことがフラグを立てることでなんとかなってしまう作品が売れてしまう現実も正直飽き飽きといったところではないだろうか?。
 と思いきや、実はその現実社会そのものがフラグ管理で成り立っているというクソ世界であるということもまた真である。例えば昨今問題化している就職問題にしたって、会社が設定している・ポジティブ思考・高学歴・コミュニケーション能力高いその他諸々というフラグを、就活生がクリアして採用になるわけだ。恋愛に関しても、こういうラノベ作品になじんでいると、立てるべきフラグが人としての優しさだとかと勘違いしてしまうが、現実の女共は・高学歴・高収入・イケメン*1というフラグを立てた相手にOKを出すという、身も蓋もない現実があるわけだ。
 そういうことを踏まえた上で、この作品を振り返ってみると、主人公はまだ社会に出ていない生徒という身分であって、彼の過去描写からすると、おそらく社会に出てもまともに相手されないということが予想される。それが彼が鏡を見て発見する「死亡フラグ」であって、それは典型的なフラグを立てることですぐ女がこちら側に転んでしまうような作品に親しんで喜ぶ視聴者に向かって、いやいや現実はそんな甘いもんではありませんよということを主人公を通じて伝えようとしているように見える。で、その主人公は簡単なフラグ立てゞヒロインズが転ぶ様子を見て心から喜ぶような場面は見られない。自分的にはくるみ子のエピソードが面白かったんだけど、あれだって、社会経験の無い主人公がそれまでの彼の経験では対処できない非常事態に焦って、それでも彼自身がもがいてなんとかくるみ子を救う、つまり彼自身が後に経験するであろう厳しい現実にちょっと触れて恐れおのゝくも、必死に対応する姿に意味があるのであって、それまでに彼が攻略してきたヒロインズのフラグ処理とは明らかに異質のものとして描かれているし、シリーズ構成的にもクライマックス的な位置に宛てられている。
 まぁ結局のところ世界の謎というのは、学校を卒業してから乗り込む現実社会のことであって、それはメインターゲット層であるところの中高生と重ねていると思っても構わないのだろう。原作小説がでは世界の謎に向かって主人公がヒロインズを従えて出発してえ格闘するところが描かれているのかもしれないが、もし世界の謎=現実社会であるという自分の推測が正しいのであれば、そういう現実社会をわざわざ作品内で描かなくても身近にいくらでも観察可能な形で転がってるから構わんでしょということにはなる。いやまぁ現実社会では先ほど述べたとおり、個人の努力ではいかんともしがたいフラグがゴロゴロ転がっているし、かといって自分の力でなんとかなるフラグもそこそこあるわけで、そういう部分は精一杯頑張れよということなのだろうと思う。個人の力で解決できないフラグは仲間と協力することで対処可能になったりするから仲間を作れよ、その仲間だって都合よく味方になってくれるのもいるかもしれないが、普通は相手から寄ってくることは無いから、その相手が何に困っているかを見通して助けてやれよぐらいのメッセージは込められているとは思う。
 そう考えてみると、なんか読者が気持ちよくなるための萌え表現を多用したご都合主義的な萌え作品というのと本作は違うんだけど、かといって採用されている萌え表現があまりにもあざといというか今一気味が悪いので、他人には決してお勧めできない作品かなぁ。伝えようとしていることや構造自体は悪くないんだけど、餡を包む皮の部分があまりにも甘ったるいというか、胸につかえるのでなんかもったいないというか。

*1:もっと悲痛なことを言えば、恋愛や就職に限らず、日本では血筋フラグというものを立てゝいないと無理ゲーな場面が多い。なんじゃそりゃ、もう初めっから詰んでるジャン。