SHIROBAKO 第7話

 そういやキャラに名前と役職のテロが重ならなくなってるな。
 新人原画のお悩み解決編。この作品って案外古いタイプの組織を描いているのかな。初老の原画の杉江の役割は実はかなり重要で、こういうのが上意下達型の構成員に厳しくて常に小さな内部崩壊を起こしているような組織にしないために必要な人。まぁわかりやすいように杉江のキャラ付けをしているけど、性格は千差万別ながらこういう機能を果たす人が大抵の組織にいたはず。ところが、バブル崩壊以降、特に経営者や管理職の失敗のせいで業績が悪くなったところから順次こういう人が切られていったから、社員同士が協力するのではなく、いがみ合う組織になってしまってうーんなんというか。
 バブル崩壊後の日本の組織の変化に実力主義出世というのがあって、これが全くの曲者で、特に古い業種などでは全体のパイが縮小する中、個人が業績を上げるというのは即ち他人の横取りをするしかないわけで、そういうところでは、困っている他人に救いの手を差し伸べるとか、先輩に受けた恩を後輩に引き継いでいくとかやっていたら、基本自分の成果は全体の業績にそれまでの自分の実力に比例した分しか上げられないわけでして、それは全体のパイが減少する状況ではそれに比例して成果も前年度よりは減少してしまうわけで…。そういう中では杉江のような人は、自分のやり方を貫き通せば他人に喰い散らかされてしまうだけであり、またまともに仕事をやっていても全体の業績が悪化すれば上げた成果もそれに比例して減少して、どうやっても評価は下がるわけで、他人に追い出されるか、それともシステムに切り捨てられていくしかないってことが日本の失われた30年のうちの、初期の日本の失われた10年で起きていたこと。
 しかしまぁ、おそらく杉江が残っているのはそういう社内での機能を社長が理解しているってことなんだけど、オカシイのはどう考えてもブラック体質のこの企業が、しかも昔は大きかったのがある意味落ちぶれて経営的にはカツカツのはずなのに、居続けられていること。でも、脚本書いてる人は、前回のイデポン(=イデオン)の世代だから、そういう過去の日本の組織のまだ良かった頃を知っている人であって、そこを今となってはファンタジーと言ってしまうのもちょっとなぁといった感じ。
 宮森にヒキの場面で姉を気遣う台詞を言わせるのであれば、むしろ宮森姉の信金での具体的な描写はないほうが物語に奥行きがでるとは思うんだけど、これも、そのシーンが無かったら視聴者の多くは宮森姉はテンション高いだけの人って受け取られをしてしゅーりょーになってしまうんで、なんともなぁ。