アタックNo.1 第85話 魔の大ボールスパイク

 あ〜こりゃこりゃ。
 と気が抜けてしまったが、これは先週とうってかわって話が充実していたから。って、脚本辻真先かよ。当然といえば当然か。
 今回の主な見所は3点ほどある。それはこずえの感情の揺れ動きと、韓国との交流戦では出し惜しみしていたあの青葉学園が真剣勝負で富士見に恩返ししたという点、そしてなによりなのが、山本の必殺技における各キャラクターの対応だ。もちろんその対比は前回の春高バレー準決勝の八木沢三姉妹だ。
 相手の必殺技の対応なのだが、チームとして対応策を考えるという点では、最初に犠牲になったみどりの態度だろう。正直みどりも相手を侮っていたのだろうが、それは無理からぬところ。どんなスパイクでも受けられるといった驕りが、山本の必殺技にたいしてあっけに取られ、急な対応ができなかったというよりは、まったく想定外だったということだろう。そもそも山本のスパイクが物理的に可能だったかどうか、みどりほどの選手が対応もできないような必殺技が短時間に習得可能かどうかは別にして、本当に新概念の登場時には大抵わけがわからず結果だけが出ているものだ。ストーリーの構成上そういう設定だということなのだろうが、それほど突拍子も無い技が出てきた場合…というケースを描写していると考えれば意図は評価できる。長くなったが、とにかくチームメートにどんなにばかげていても自分が得た情報を伝えようとする態度があったというのがとても重要だ。ここで情報が0であるのと、どんな些細なことでも情報があるのとでは、その後の対応に雲泥の差がつく。もちろん想定外の事態が起こったのだから、みどりの情報がまったく的外れであるとか、かえってミスリードを誘うものになってしまう可能性も大なのだが、「誰も経験しなかったことの情報を少しでも仲間に伝えようとした」態度があるというだけでも士気に大いに影響する。で、みどりの情報はその後の石松で再現され信憑性を増して、その後の対応にブレがなくなるわけだが、コレばかりはおまけだろう。普通は不意打ちを受けた場合、得られた情報は手がかりとして役に立たない場合が多い。
 で、武市が囃すわけだが、そういう空気を消す雰囲気があるというのも重要。割と細かいが、実際の組織、しかも組織員の連携や信頼が築けていない組織ではこういう一言が組織の解決力を大幅に下げることがよくある。
 で、石松がみどりの情報を頭に入れた上で、彼女自身に具体的な対応策があるわけでもないが、とにかく恐れずに対応したというのが重要。これはたまたま富士見にそういうメムバーがいたという幸運さによるとは思うのだが、山本の強襲を受けて味方の士気が総崩れになるのを防ぎ(なにしろ目前で退場するほどの威力を見せ付けられたわけだから、普通は物怖じするはずだ)、しかもみどりの発言が正しかったことを証明してみせたわけだ。ここでボールが大きく見えるというみどりの情報と違った現象が起きた場合、富士見はもう対応不可能になっていただろう。情報の信憑性があがったからこそ、こんどは分析という次のステップに移れるわけだ。
 で、次はその情報を受けて各メムバーが情報交換をしている。石松の犠牲までで得られた情報を元に、チームメートがただコーチの指示を待つのではなく、考えられるものからいくつかの可能性を挙げている。もちろん考える力に乏しいものに無い袖を振らせるような強制も無い。で、石松まではなんの防御もなされなかったが、真木村は少なくとも手でブロックなりをして対応とまでは言えなくとも、身の安全をなるべく図りつゝ、なるべく新しい…もしくは深い情報入手に向けて努力している。
 次のステップはこずえのターンになるわけだが、これは物語の進行上、足踏みをさせるということもあり、こずえの精神的状態も安定しておらず、次回のお楽しみといったところだ。
 さて、未知なる事態への対応の各ステップという点については、見かけ上犠牲が出たということに振り回されず、犠牲は付き物だけれども、その犠牲を糧にしていかに高みへなり成果や成長につなげていくかについてはかなり現場に近い形で提示がされていた。もう1つの視点は、やはりリーダーシップのあり方だろう。
 八木沢家長女である香がコーチに就任した新寺堂院チームは、結局三女の桂に無理をさせて再起不能にしてしまったという顛末があった。ところが、今回の富士見はコーチが選手達に無理をさせていない。むしろ怪我を恐れてできるだけ危険を回避するような行動をとっていた。試合放棄までしようとして。
 で、試合続行にしても選手自身がやりたいという意志を表明しており、それをコーチが尊重しているという形をとって*1いる。それは寺堂院では桂があまりの疲労に堪忍といっているのに、姉の香や静かがそういう状態を把握もせず、「ベンチに下げることは桂自身が嫌がるだろう」と勝手に判断して、無理を強制したのとは対照的だ。で、精神状態が不安定なこずえが山本のスパイクを受けることを懇願して、試合続行してもすんでのところでこずえには無理だと判断して、コーチが叫んで試合をストップしたのも見事である。これが組織員の状態も把握せず、成果だけを求めて無理を強制する八木沢式勘違いリーダーシップと、あくまで組織員が現場なのだから、できるだけ判断や裁量をメムバーに与え、組織員が実力を発揮しやすいような環境や雰囲気作りをコーチがし、組織員の安全にも十分気を遣う富士見式リーダーシップとの違いであろう。
 ま、自民党が国民に負担だけ押し付けて成果は特権階級が横取りって構造の日本が、これからどうしたらいいのかというごくごくあたりまえな指針のように思えた。

*1:別に本郷コーチは実は試合を続けさせたくて、選手達を煽って誘導したわけでもない