Tokyo 7th Sisters -episode.Le☆S☆Ca- 前編、読了。

 さて、本題ともいうべきナナシスノベライズ。結論を言うとテキストにそれほど魅力は感じられなかったというもの。文章力がないとは思わないんだけど、おそらくノベライズに際しての制約事項がかなり大きいんだろうなと推察される。密林の作者欄はイラストレーターの名前が先に載っているぐらいだし、テキストに重きはないものと見るべき。
 前置きが長くなって申し訳ないが、ゲームのヽベライズに少々思い入れがあるのは、昔Nitro+のファントムというゲームが素晴らしいと友人から紹介を受けたのだけども、正直ゲームをやるのはかったるいとばかりに、ノベライズに手を出して読んでみたら小説版で満足してしまって、もうこれでいゝやと思った経験があったゝめ。友人によると、表のストーリーと裏のストーリーの組み合わせが絶妙で、小説を読むよりゲームをやるほうが奥が深いということだったが、正直メインストーリーをかなりの時間費やして取り組むことですらめんどくさくなっていた年頃だったので、さらに裏もということになるとハードルが二倍になるという感覚から逃れられなかったという。いやまぁファントムはゲームも小説もどちらも虚淵が手がけているので、そりゃぬかりはないだろう。
 さて、ファントムもコト天もどちらかというと古いゲームとそのヽベライズという括りで、ナナシスはゲームといっても紙芝居ゲーからゲーム性としては後退しているともいうべきものであって、キャラの造詣からしてもう概念が違う。昔のゲームだとキャラはしっかり作りこまれるべきものであったが、最近のゲームはキャラゲーであるにも関わらず、キャラはわざと作りこまれない。それは読者に対してもそうなのだが、二次創作向けにそうしてあるらしいのだ。キャラの背景を作りこんでしまうと、二次創作の作者が妄想を膨らませることができない→二次創作者の多種多様なSSや同人漫画が作れないということになり、それはキャラを弄んでくれる余地を減らし、同人作品による二次宣伝の効果を減ずることになるのだ。
 だから、いくら今回の小説が公式設定だとかいう触れ込みであっても、その小説に登場するキャラの背景をガッチリ作りこんでしまったら、それまでゲームで獲得したファンの妄想余地力を奪うことになるわけで、あたりさわりのないエピソードで埋めるしかないということになる。ゲーム自体にキャラが内包するべきストーリーがないわけなんで、そのへんイラストや台詞から連想される雰囲気を壊さず、このキャラだったらこういうことをしそうだな、言いそうだなという最大公約数を探る感じで書かれたに違いない。自分がこの作品を読んで思ったのが、大半がどうでもよいやりとりであって、それがそれぞれのキャラの軸を崩さずに一本の作品の中に表現されているという風にはあまり感じなかった。これはおそらくコト天の時代より制約が多いに違いない。深く切れ込んでしまったら、それがキャラの特異性、個性になってしまって、それはもちろんゲームにはない設定だろうからNGなわけで、これはテキストライターとしてはしんどいだろう。
 そのような構造なんだったら、むしろイラストをもっと増やすべきなんでは?とは思った。キャラの表情だとか背景なんかはテキストライターに課せられる制約に比べれば極楽に近い自由度が与えられるだろうし、実際小説を読んでゲストキャラがイラストに出てこないのはおや?と思った。そこは書き下ろしイラストを増やすことこそ単行本化の意味が出てくるだろうに。
 しかし、キャラどうしのやりとりにあまり意味がないのは、ちょっと考えてみると若者の会話の大半がどうでもよいことで占められているということに合致していて、これはこれでアリなのかなとも思えてきたのは不思議。とはいえ日常系のアニメで交されるキャラ同士のやりとりは、どうでもよいことゝ見せかけて実はトリビアに満ちているみたいなのとは対照的ではあるわな。
 裏表紙に、この作品の世界設定に「アイドルが廃れた時代」と書いてあって、これを目にした瞬間「おっ」と思ったが、中身を読んですぐに失望した。曰く、人気を総ざらえしたアイドルが昔いて、それが引退してそれほどのアイドルが出てこなかったから皆失望したとあるが、もうね。アイドルに中身はないんだから(そいつに中身があったらタレントゝ呼ばれる)、そりゃ波はあるだろうが、模倣と試行錯誤でなんとかやっていけるもの。そうじゃなくて世の中がアイドルの中身のないことに愛想を尽かしてアイドルが廃れたという設定なんだったら、さぞかし面白いものになるだろうにと半ば期待もしていたのだ。アイドルが廃れた時代という設定は、あくまでゲームでプレーヤーが女の子をスカウトする状況にリアリティを持たせるとかそんなの(アイドルが廃れてなかったら、自薦が多くてスカウトなんかやってる暇はない)でしかなく、また、ぬるい育成でなんとかなってしまうというゲーム設定のため(実際のアイドルのは個人的な才能に頼らない競争に晒されているために凄まじい努力を要求される。現実に行われている活動にプレーヤーが耐えられるはずがない)でもある。
 後編を読んだら驚きのクォリティになるのかもしれないが、おそらく想像の範疇は出ないと思われる。この前編で言えば、三人いるキャラの内、二人がダンスの練習をする場面はテキストのキレが感じられたので決して文章力が無いとは思えないんだが、これではねぇといったところ。キャラについての知識がないから、このキャラだったらこういうことを言いそうで、ちょうど場面設定がそれっぽくて合ってるというのは自分には関係のないこと。
 自分としてはゆるやかに設定された世界観でもっとキャラの人間性がすっと通ったオリジナルストーリーを期待してゲームの雰囲気に触れるぐらいの感じを期待していたが、なんつーか、これはおそらくお気に入りのキャラが対象になったコレクターズアイテムぐらいの位置づけのようで、これは自分が悪かったというか。というか、おそらくゲームのマーケティングに自分の感性がついていけてないんだろうけど、そのマーケティングにしたって、ゲームだろうとそのキャラだろうと単にマネタイズの要素の一つにしか過ぎないわけで、なんかちょっと寂しいというか、もっとそれが商品であるということを隠してくれよという気分。アイドルという題材にしたって、小説にしたって、夢だとか理念だとかを売る商売なんだからさ…。この前んHKラジオで乃木坂なんとかというグループの一人が、握手会ではどんな無茶な投げかけであっても、それを受け流すんじゃ無くてちゃんと受け止めて返答すると言っていて、その実例を示していた。いやもちろんそれは放送作家の脚本に従っていたゞけなんだろうけど、アイドル本人はファンの欲望がなんであるかを把握した上でちゃんと演じているんだなとちょっと感心したよ。