蒼穹のファフナー EXODUS 第26話

 最終回も新たにエクソダス
 うーん、もうちょっとわかりやすくしてくるのかと思ったが、そうは問屋が卸さなかった。結論がなにかよくわからないのだが、例えば人間はフェストゥムと対話するのに未熟だから、成熟するまでフェストゥムは封印するということでよいのか?。そして人間が未熟なのは人間同士で争っているから、同族でも和解が出来ないのに他種族と和解できるはずがないという、現代世界の有り様をアイロニカルに表現したとかそんなのか?。ほんでもって何で人間どうしで和解できないのは、一部の人間が特権を保持するために情報を隠蔽しているからとかそんなのか。で、世界を善に保つために…というか、一部の善を信じる者たちが、未来に託すために、多大な自己犠牲を払っているとかそんなんだろうか。いちおう最終回でいろいろ展開したエピソードを思いつきで適当につなげたらそんな感じに。
 うーん、なんか投入したコストを考えたらあまりにもったいない話の進行具合。要素として、1.対話の必要性の提示、2.人類同士でのいがみ合いの確認、3.敵対する人類同士での一部での和解・協力、4.人類同士の本格的な対立、5.憎しみと和解の相克、6.未来へ(対話の)希望をつなぐために自己犠牲の連鎖と現状のペンディング…というふうに、おそらくこの2クール分はおよそ四分の一に圧縮できそう。とはいえ、只でさえダイジェスト風味なのをこれ以上短縮して味気ないものにすることもないわけで、かといって足りないのは時間じゃないだろという風には思ってしまう。少なくともミツヒロがすべてを同化しようとするフェストゥム側に立ってからの憎しみと主人公側の対比部分はもうちょっと尺を使うべきだと思う。前半は余計とまでは言わないが、削れる部分は多いと思うし。
 なんでロボットなのかをずっと考えていたが、今やドローンで安全なところから人殺しができる時代なので、機械が淡々と殺戮するのではなく、同じ機械であっても人型をしていることによる、そこに人間の意志もしくは人間そのものを介在させているんだよということを強調したいがための表現方法なんだという気はする。

 壮大さは買うし、投入したコスト分だけのクォリティはあるとは思うんだけど、なんか無駄が多くて勢いだけって印象が強かった。テーマをわかり難くするのは構わないんだけど、視聴中に考える時間がないので、考えているうちに事態が流れていってしまうので、考えるのがめんどくさくなるという。それ自体を揶揄するような作品を最近何本か見ているせいか、どうにも中二病全開というイメージが大きくなってしまった。それなりに面白いんだけど、なんか気負いの割には惜しい作品だったように思う。続編があったらまた視聴したいけど、3〜4話視聴したらまた飽きてしまいそう。っつーか、希望は捨てないまでも現状に対する諦観を示すのがシリーズ全体の目標であるというなら、もう続編はないよね?。とってつけたような現実味のない希望を続編で描くとしたら、そこにリアリティはないわけで。