KURAU Phantom Memoryを見返してた

 最初視聴したときは酷評したので、読解力がそのときに比べたら少々上がっているだろうと踏んで見返してみた。リナックスというエネルギー体が人間に取り憑いて超人的な力を与えるんだけど、思考はリナックスに乗っ取られるという設定。クラウがリナックスとして、リナックスを組織利権の強化に使おうとする権力と戦うストーリーではあるんだけど、基本は家族愛を全面に押し出した構成。
 人物の表情付けに定評がある入江泰浩監督作品で、それを目当てに視聴対象にしてたんだけど、今視聴するとそれほど特徴的なものと感じられなかった。昨今のアニメ描写技術の発達恐るべし。割と等身をリアリティに近づけているおかげで、作画に力を入れられないときには崩れも酷いのだが、当時のクォリティからすると上等の部類だったはず。台詞回しも表情付けもおそらくアメリカンドラマの影響を受けているように思われる。いや、アメリカンドラマをそうそう見知っているわけでもないんだけど。
 感じたことを連ねてみると、まづ、家族愛(というか人間同士の繋がり)を主とするんだったら、近未来(100年ぐらいあとの話という設定)でSF仕立てにする必要が無い。またリナックスは人格を持った存在として描かれており、「対」という設定がなされているが、これも意味わかんない。クラウが中性的な顔立ちというかもう男としての役割を持たされていることは明白だと思うんだけど、クラウの対としての存在であるクリスマスとのペアリングからすると、夫婦や恋人同士のカップリングを意識したもの(駆け落ち男女の逃避行というスタイルをとる)と思われる。でも、物語上の必然性もメッセージ性もあまり感じられなかった。台詞回しは簡潔でそれなりに行間を読ませるものになっており、間も十分なんだが、テキストゝしての完成度は今一。泣ける場面はそれなりにあるが、要するに10年後の現在見返してみても微妙感が拭えなかった。
 リナックスは何のメタファーか?と考えてみたんだが、思いつくのは原子力ぐらいなもので、それだって物語上はそういう押しは弱くて、むしろ原子力を元ネタに新しい概念をでっち上げてみましたというほどにしか感じられなかった。やはり本作のテーマである人と人との繋がりや組織と個人との対立構造が主で、リナックスは個人(や組織)をエンフォースする程度の役割なんだと思う。
 アメリカンドラマを髣髴とさせるというところからも、個人の情感を描いているところはそれなりに楽しめるんだけど、それだったらよく出来た実写ドラマをお勧めするかなぁ。