とある科学の超電磁砲S 第22話

 初春の使ってるノートパソコンは何気にThinkPad
 テレスティーナにヒントを得て、敵を特定して、工場に乗り込んで行ったら既に壊してくれちゃっていて、敵との対面、布束が協力者とわかるという、なんてご都合主義な展開。いやまぁ一つ一つ苦労して辿り着くだけの尺がないのはわかってるんだけどね。いやなんかそれぞれの仕込みが終わって淡々とそれぞれのステップの出来上がりを見せるだけの料理番組っぽくてね。
 しかし、テレスティーナとのやりとりは今一だったな。タイミングが悪いことに神様はじめましたの奈々生vs.磯姫のやりとりを視聴してしまっているだけに、御坂に課せられた試練や御坂の振舞いは二段も三段も奈々生に劣る。檻を境に安全地帯にいるだけでなく、どう考えても監獄のなかでどうやっても毒を仕込めそうにない環境でのマーブルチョコを食うか食わないかで信じるとか信じないとかスケールが小さすぎ。演出のおかげで緊迫感はあったが、これ、どう考えても原作にこういう描写があるはずで、原作者の意地の悪さを感じる。面会は記録されているはずで、テレスティーナが重要な情報を洩らすはずがないのだが、御坂はそれに対する配慮も一切無いたゞのクレクレ厨なのもな。テレビ版のエヴァンゲリオンがオタに対する批判を込めてたらしいが、これもそういうメッセージなのか。
 まぁそのへん、レヴェル5などの能力者に対するルサンチマンをテレスティーナに語らせているから、そのへんやっぱお子ちゃまに対する批判なんだろうね。自分はオッサンなので、今のお子ちゃま万能主義に対する批判は腹が立たないというか、むしろ賛同したいぐらいなので、別によいのだが、小説の購買層は中高生だろうからいやはやなんだかなぁといったところ。そもそもこの世界の能力って、今までの話の流れだと本人の努力によるものじゃなくって(アクセラレータがいくら経験やトレーニングを積んでもレヴェル6になれないところ)、天賦のものだから、保持していることになんら根拠の無いその能力を好き勝手使って我儘放題振舞うってのは、やはり現代日本の過剰なまでのお子ちゃま保護の風潮に対する意地悪な描写としか。