アクセル・ワールド 第13話

 なるほど、バーストリンクって、実生活で考える時間や検討する時間を確保するのに役立つわけか。
 なんかゞっかりな感じ。それってズるじゃんかという気がするが、まぁ確かに今までもそういう描写はあったわな。タクムだって剣道で使ってたらしいし。でもそうなると人間の寿命ってどうなるんだろ?。ニコのエピソードでも触れられていたが、実生活よりバーストリンクで過ごした時間が膨大っていってたけど、バーストリンク社会で過ごした時間もカウントされて実生活での寿命が短くなったりするのか?。現実の人間がゲームをするという感覚ではそうなんだろうけど、ゲーム世界での時間経過が早くなっているだけで、現実の時間の推移は変わっているわけでもないので、まぁ仮にバーストリンク時間で60年過ごしたらジヾバヾになっちゃうのもおかしいな。というか、ファンタジー設定にマジになるのもどうかと。
 チユリの加入にえらい時間をかけてたな。ほゞ全編といっていゞぐらい。あとは能美クンの登場にちょっと使ってるぐらいか。今までの彼女の態度からすると加入は時間の問題だと思ってはいたんだけど、こうやって手順を踏まれるとなんか実感が湧かないな。ゲームは楽しんでやるものなんて言っているチユリだが、彼女の動機は居場所の確保だろうし、戦うことに意義を見出せるのかね?と思っていた。で、戦いに直接関係しないヒーラーというものに彼女はなったらしい。どうやってポイント稼ぎというかレヴェルアップするのか、きっと団体戦でしか…とは思うんだが、たしかに今までの流れ、癒す相手の必殺技ゲージがみるみるうちにHPに置き換わっていくのを見るとそりゃ重宝がられるわけだとは思った。なるほどバーストリンクが現実にもかなりメリットのある使い方をできるゲームだとすると、それをインストールする者の動機としてはチユリはほとんど例を見ないものなんだろう。トロくさそうといっては失礼だが、チユリは戦いに際して必要な素早い判断、しかもこのバーストリンク社会では必要以上に精神力を求められるので、こういう落ちどころになるのはまぁ納得というか。
 6人の王のうちヒーラーであるってのは、RPGでいうところのプリーストやクレリックの持っているスタッフを持っていた紫がそうなんかなと。それはそうと、赤いバイクに乗ってたメイドコスのキャラはいつ表舞台に登場するんだろ?。OP画で出ているのはともかく、本編でも一瞬登場してたので、そろそろとは思うんだが、彼女が紫の王*1なのかな?。現実社会でもバーストリンク世界でも人の声は変えないという設定らしいので、声を聞けばそうであるかそうでないかある程度判断がつきそうなんだが。


 さて、昨日からSAOを視聴し始めて、いやがうえにも比較せざるを得ないというか相違点を探してしまうんだが、上記のとおり、現実社会とバーストリンク世界での時間経過の違いといゝ、バーストリンクを利用して現実にも転用できるところといゝ、確かにバーストリンク世界自体はゲームでしかないんだけど、そのバーストリンク世界を包含するこのアクセルワールドゝいう物語全体の構図はやはり現実の社会の軽いメタファーという要素は拭いきれないな。現実の何に似ているかと言われると、あまり良い例ではないのだろうけどいうなれば物語の最初に出ていたアッシュローラーに見られるような暴走族の縄張り争い的なもの?。若者の間で流行しているとか、規模的にいってもそんな感じかねぇ。まぁ暴走族ほど危ないものでもないんだろうけど、暴走族以外にもツーリングやレーサーレプリカで峠を攻めていたライダーなんかも含むバイクを主とした社会全体ぐらいか。それがゲームに置き換わり、そのゲームにちょっとした権力も組み込んでみましたってとこか。
 で、今回のチユリの加入で考えさせられたのがバーストリンク世界への招待制度。Mixiなんかも当初は紹介制度だけでまわしてたんだが、この「おいしいゲームを知っているもの」からの口コミだけで広がってるんだよな。で、基本は構成員の判断で加入者を決めているわけで。自分が気になるのはその判断なんだが、それこそ穴場の行きつけの店を誰に紹介するのか?というのと同根なんだよ。下手な人に紹介されてその店が繁盛するのはよいが、繁盛しすぎて自分が入店できなくなったり、店のスタイルが変わって自分が楽しんでいた雰囲気がなくなって行く気がしなくなったりってそういう羽目にはなって欲しくないわけだろ。誰に紹介すべきかせざるべきかといった自分の判断が正しいかどうかは別にして、やはり素性の悪いものを招待するのはすごく危険なわけだ。
 そして招待するしないを飛び越えて、国のあり方なんかにもつながる。政治家なんて、昔は郷土での素封家あたりが、自分の住んでいる地域の窮状を見るに見かねてなんとかしたりしてた人もいたわけで、しんどい割りに見返りが少ないものだったことも結構あったらしい。ひどい人は地域に尽くすために自分の財産をつぎこんですっからかんになった人もいたわけだ。それが政治家に立法権を通じて利権が与えられるような制度になってしまうと、みるみるうちに腐敗してしまって、一度敗戦を通じて正常化の方向に振れたものゝ、いまや庶民の窮状を救うどころか庶民を窮状に落とし込むようなのばかりが多く政治家になってしまっている始末。それが選挙制度を通じてあたかも我々が選んだかのようなことになっているのだからとても救えない状況だ。日本残酷物語全5巻を読み終わって、江戸時代と終戦直後の変化を勉強させられたのだが、江戸時代の法律はお上が作ったのだけども、搾取の度合いは別に現在と特に変わりがないところとか、たしかに現在は豊かではあるんだけど、その豊かさは別に政治形態*2がもたらしたものではなく、技術やその進取の態度にあるのであって、そしていろいろな社会問題は政治が解決したのではなく、豊かさそれ自体が解決したんじゃないかという気がした。が、その豊かさだって食いつぶすか増やすのか、その運用自体は社会形態がやはり決めるのであって、そういうのはいろいろ考えなきゃならないんだろうなという気はする。
 で、黒雪姫には悩める指導者の姿、そしてそれを支えるものにハルユキやタクム*3などを配置して、彼らが何を選んでそしてどういう方法をとっていくのかという描写を通じて、バーストリンク社会は確かに小さな組織ではあるんだけど、それは現実社会にも敷衍が可能かもしれないというテストケースとして描かれてはいないだろうか?なんて思ってみたりもするのである。

*1:それにしては真っ赤なバイクに跨っているが。

*2:政治的判断というか指導者や議会の判断はその多くが失敗してる。明治時代など中高生レヴェルの教科書だと発展の推移しか書いていないが、明治20〜30年台はおそらく庶民にとっては江戸時代より生活レヴェルが低下していた。

*3:おそらく彼らは近代の社会制度の犠牲者という形になっている。