アクセル・ワールド 総評

 そういや、総評を書く作品が最近めっきり減ったなぁと思うこのごろ。でもアレだよ、最終回の感想を書いちゃったら、もう気力が続かないってのが正直なところ。こうやってこの作品の総評を書くのも、最終回の感想を書いた直後だからってのもある。
 さて、自分が「小説家になろう」のネット小説でやたら異世界転生モノが多いなぁとか、この作品のように仮想現実を舞台にした作品が最近多いなぁと、半ばうんざりした心持ちでこの作品を視聴し始めたわけなんだが、結構惹きこまれた。まぁそもそも竹取物語にせよ浦島太郎にせよ、そもそも昔話というものは1000年も前からファンタジー世界を舞台にしており、コンピュータゲームがそのファンタジー世界に遊ぶということを仮想現実として現実化したものであるわけで、そのへん別に大きく構造が変わったわけでもない。現実ではない世界=ファンタジー世界に現実社会を投射するという構造も、ファンタジー世界を媒介に、ゲーム世界に現実社会を投射する構造も、中にひとつ挟まっただけで、一緒だということだ。その辺異世界転生小説も一緒なんだろうね。で、ゲーム世界をはさんだほうが、ゲームを媒介としてリアルな人間とつながることができる分、ファンタジー世界と読者が完全分離している昔の物語より、ちょっとリアル寄りなのかもしれない。
 で、SAOとの比較もあるのだが、この作品は特にリアル世界はリアルな友達関係、ゲーム世界(バーストリンク世界)ってのはむしろ仕事なんかの社会的関係を模しているんかな?というのが頭に浮かんだのは前にも述べたとおり。最終回でやたら涙を流すキャラクター達を見て、「たかゞゲームのことなのに大げさすぎる」という考えがどうしても頭を離れなかった。能美のイノセントぶりを見ると、ゲーム世界ってのは最終的には現実にはほとんど影響しないはず。やれモンハンだとかそのへんのMMOで熟達していたとしても、それはそのゲーム業界、それもメーカーサイドではなくあくまでも消費者サイドでの盛り上がりに影響するだけであって、あんまりそれが社会的影響力を持つものってもんでもないからね。でも、この物語ではそうではなく、バーストリンクプログラムが積極的にリアル世界にも影響があるという設定にしてある。現実には例えば血縁・地縁が社会的関係に大きく影響するし、またその逆も大いにあるって構造があって、そういうのは不可分であるんだけど、それに近いものがこの作品に取り入れられているような気はするんだよな。バーストリンクプログラムが今のところ未成年にだけ通用するとか、利用者がおそらく少数であるという設定にしてあるために、そのへんきちんと抑制されてはいるんだけど。だから、単純にこの作品を登場人物が中高生だから中高生向けと捉えてもおかしいし、かといってこれが現実世界を余すところなく取り入れているというのも間違いなんだろうとは思う。ハルユキが覗きでいわゆる学校内で社会的制裁をうけるってのは、仕事でパワハラを受けて濡れ衣を着せられてしまい、それが社会的にやれ今時の若者はと見られてしまう…だとか、痴漢冤罪を受けてそれが仕事上で処分を受けてしまうことがある…ってことにも関連しているんだろう。そのへんのこの作品世界と現実世界のリアルでもヴァーチャルでもある、いやなんというかどっちつかずというかあいまいというかファジーとでもいうべきかどっちもありうるといったほうがよいのか迷うが、両者融けこんだ構造になってるんだろうなという風に思える。
 そして、やたら現実世界が生きるには無理ゲー化している現状で、ハルユキという少年をモデルにして再生*1を描いてみせる物語なんかなと。彼自身がゲーム中のことではあるんだけど、それなりに能力があり、それを発揮する機会が訪れない状態で、黒雪姫という実力者に見出されて拾われ、タクムというやはり実力のある友人がいて励まし励まされるだけでなく切磋琢磨しあい、チユリという理解者がおり…なんか書いていて自分が惨めになってくるんだが…、まぁ支援者がいてだなぁ、それで彼がどんどん成長するというか実力を発揮していくって流れだろ。時間が経過して彼がリアルでは自信を取り戻してはいるものゝ、学校ではそれほど評価が高くなったわけでもなく、あくまでバーストリンク世界で異彩を放つという描写になっている。
 それは現実にも影響を及ぼすことが可能な、広さとしては交友範囲というにはあまりにも広いある種の実力社会。一歩間違えばその社会でのすべてを失うってのは、なんか職歴が無かったり中断があったら途端に再就職がむずかしくもなる日本の雇用状況にも似ているんだよね。違うのは結構仲間意識が強くて、理不尽な管理職って立場のキャラクターがいないこと。かといって広義の上下関係がないわけでもなく、でも中高生と限定されている同質社会ってこともあるんだろうけど、じゃぁ未成年で社会経験がないから、それぞれ現実の経済生活で強者が総取りして弱者からすべてを奪うって無慈悲な大人社会を真似でもしてそういう世界になっているか?と言えばそうでもない。加速研究会みたいな存在はいても、基本ほとんどの構成員がお互いやりすぎないような配慮を持っているような感じなんだよね。これはある意味現実社会よりは理想に近い世界観のような気がしないでもない。現実世界よりは「ちょっとやさしい世界」で、ハルユキがそれなりの支援を得て再生を果たすという構造になっている。で、そういうのは100年前に溯らなくても日本では確実にどこかそこかしこにはあったような気がするんだよね。
 まぁそんなわけで、ゲーム社会を描いてはいるんだけど、じゃぁゲーム世界として完結した社会を描いているかといえば、全く逆なんじゃないかという印象を受けた。SAOはむしろ厳しい現実社会にどっぷり漬かった世界を描いているって構造のように見える。SAOだと即死なので失敗はできないが、このAWだとリアルで失敗しても加速世界に居場所が得られるし、加速世界で失敗してもリアルで支援を受けられるという。SAOのほうが失敗できないという構造だから、ピンチに陥っても切り抜ける場面しか描かれないし、それはSAOという作品を盛り立てるためにも華麗に描かれており、そういう部分しか目に入りにくいってことになるが、逆にAWだと失敗しても挽回が可能な分だけ、積極的にその部分を描いているという風に見える。そしてそういう構造だからこそ積極的に傷ついた人たちを取り上げることができるわけであり、実際に傷ついたキャラクターを見せているんだろうね。
 まぁそんなわけで、ハルユキをそういう風に色付けしているってところもあるんだけど、ある意味どん臭い雰囲気になっていながらも、結構途中で評価が変わったって作品だった。普通自分は第4話ぐらいまでには物語に入り込めるんだが、割とこの作品は自分的にエンジンがゝゝったなと思い始めるまでに時間がゝゝった作品。で、それも自分が、この作品はあくまでハルユキという弱者が成長するフォーマット通りに話が進んでいく作品と見積もりを立てゝいたせいであって、現実世界をかなり踏まえた構造*2というのが最初にはわからなかったせい。単純に人気作品のアニメ化と捉えるんじゃなくて、偽まるプロがやはりこの作品をチョイスしたのにはそれなりに社会的メッセージがあってのことなんだろうなと途中で気がついた次第。読解力というよりは、この作品にどういうメッセージが込められているんだろうという掘り下げをしながら視聴しないとなかなかそのへんまで突き当たることは無いんじゃないかな。やっぱぼんやり眺めているだけでは、未成年が(現実では何の役にも立たない)ゲームに嵌って右往左往する話にしか見えないと思う。人によっては、ゲームに入り浸るよりもリア充を目指せと言ってしまいかねないものがあると思う。自分はSAOをほゞ半分ほど視聴してしまったわけだけど、最初の頃はSAOのほうが大人よりで深いんじゃね?と思っていたけど、最終回を視聴し終えてこう振り返ってみると、むしろこの作品のほうが「我々の社会はどうあるべきか?」*3という点においてSAOよりは深いものがあるんじゃないかと思っている。キャラクター同士の繋がり自体は、自分はちょっと甘い部分があるとは思うんだけどね。あと、アニメは第4巻までのものであり、その後は第6〜9巻まで災禍の鎧編らしい。となると、ハルユキの成長振りからするとメッセージ的には描きゝったから、続編は無いような気がするね。おもろ+。

*1:再生って英語は結構あって、第7話のレストレーション、最終回のリーインカーネーションとあるんだけど、自分的にはリサレクションが近いんじゃないかと思っている。

*2:これが結構わかりにくゝなっている。おそらくネットゲームやゲームの構造がわかっていない人間には気付いてすらもらえないんじゃないだろうか

*3:再生の部分が感動的で、物語的にはそっちを軸にはしているが、その部分だけだとあまりに浅すぎる。だって支援者、というより支援者がいるという社会観がないとハルユキは切り捨てられてポイッでしかない。