ラストエグザイル-銀翼のファム- 第11話

第3話との比較。今話は作画が雑

 え〜っと、ファムはサドリの身内なのか?。
 10年前のグランレースおよびファラフナーズ暗殺の回顧。ようやくですかといったところだが、グランレースって一度しか開催されてないのね。自分はてっきり毎年とか何年かごとに継続してレースが行われているのかと思っていた。みんな若いんだけど、清楚な中にもちょっとお転婆の入ってそうなロシャナクが一瞬顔見せしてゝ、これがまた可愛いんだよ。
 まだ一度しか視聴してないんだが、今回の話も結構昂ぶるな。というのも、ファラフナーズのうそ臭いまでのお人好しぶりに感銘を受けたからなのだ。まづ、今回の話が年長者が身を挺して年少者を庇うという構造が、現代政治(権力者)の批判として挙げられているというのを押さえておきたい。で、ファラフナーズだが、対話を重ねてきたという当時の彼女のありかたが示されてはいたが、彼女が数珠のお呪いで犯した罪の数を数えているというからには、やはり為政者として数々の失敗を犯したその反省の元に対話路線というのが延長線上にあるということなんだろう。で、年少者からの崇拝を受けていたが、やはりファラフナーズに直に接することで恩義を感じているものが多数いるということらしい。
 で、よくよく考えてみれば、現代政治がかくもおぞましくなったという今の状況からちょっと離れてみると、先の大戦あたりまでの世相があんな感じなのかなと思いを馳せてみたりする。今の日本だと嫌韓・嫌中がネットやマスゴミなどでは激しいが、当時は右翼*1ですら同じアジアの国同士、なんとか手を取り合ってやっていけないだろうかと考えていたのもいたわけで、なんか理想を掲げることが人々に希望を与える時代ってのがまだ昔のほうがあったような気がしないでもないのだ。今だとそういうことが少ないように見受けられる。上下で言えば、上のものが下のものに気を遣い、守るからこそ下のものは上のものを敬愛し、自己犠牲も厭わないって構造だ。今だと上のものは民主主義というお題目の下に、集めた税金をぽっぽないないするし、それがバれそうになると(というかバれているんだけど)平気で下のものを弾圧する。下のものから奪い取って自殺するまで追い詰め、自分の手を直接汚さないってだけで、実際には自己責任の名の下にすべてを奪おうとする。まぁ歴史上だと、確かに機嫌の良し悪しで人の命が決められていたという時代もあったんだけど、そういうのは天命が尽きれば一族もろとも滅ぼされていたわけで、民主主義だから強欲な権力者のやることは結局有権者の責任にされて権力の座に居座られてしまうとか、責任を取らずに幸せに天寿を全うするとか、現代と昔とゞっちがいゝのか判断がつかなくなりつゝある。しかし、ファラフナーズを理想の政治家として掲げるのはいゝんだが、排除されてしまうのもなんか微妙な感じだ。もちろん物語上は彼女を退場させないと「ファラフナーズの元でグランレイク湖岸諸国は共存共栄して発展していきました」というふうになってしまい、お話にならない。が、善意の権力者は結局のところそのお人好しさからその身を滅ぼす…という教訓のようにも受け取れ、なんとも名状しがたいものを感じてしまう。
 さすがに今話のおかげで結構ハッキリした部分ができた。ケイオスのアメジストという二つ名は併合される前のケイオスの将軍としてアデス連邦を悩ませたというのとはちょっと違うっぽい。またリリアーナもファラフナーズに守られちゃぁアデス連邦に恩義を感じざるを得ませんワナということか。倒れた自分に手を差し伸べたルスキニアにホの字なのはオマケだろうな。
 が、物語の方向性がちょっとな。現時点でのアデス連邦首脳部はあくまでファラフナーズの遺志を継ぐのが目的であり、彼らが世界をどうしたいのかってのが見えないんだよ。武力で他国を圧倒している今のアデス連邦は対話による協調というファラフナーズの遺志とは違っているわけで。話の都合上アデス連邦がグランレイク湖岸をすべて制圧するという結末はありえそうもないんだが、仮にそれが出来たとして、ルスキニア他アデス連邦首脳部はどういう国にしたいのか全く見えないんだよ。今のまゝだと、たゞの弔い合戦でしかないわけで。

*1:三民主義、つまり民主主義を掲げる孫文が亡命してきたときに匿ったり援助したりするのが結構いた。