ラストエグザイル-銀翼のファム- 第10話

 15隻の戦艦が裏切るのか、切ねぇな…。
 リリアーナ、日和るの巻。エリダラーダのヴァンシップレースの件があるだけに、リリアーナ姫とミリア姫の対比がなんとも言えない。まぁOPの絵からすると、リリアーナはルスキニアには同情に近い気持ちがあるだろうから、あまり国を売ったという自覚が無いんだろう。ルスキニアもファラフナーズの理想を実現せんがための無茶であまり私心はなさそうだから、そのへんリリアーナは共感してるかもしんないな。
 さて、エリダラーダの話でも思ったのだが、いわゆる「大人」の世界だと無用な流血を避けたロシャナク男爵の決断が正しいとされる。反面ミリアの判断は無鉄砲で命知らずな「若者」の青っぽい理想とされ、フツー挫折を伴う。あの回はそれこそ2〜3度視聴しなおしたお気に入りの話なんだが、あれ、気持ちは昂ぶりながらも「若気の至りだよな〜」とゞこか冷めた目で眺めるのがフツーだ。まぁ本作のあり方からしてそうなんだろうけど、ファンタジーそのもの。ミリアは独立が得られなかったら死んだほうがマシとまでいってるので、これは蛮勇以外の何者でもない。
 が、なんでだろ?、あの回はそういうのが頭に浮かびはしたんだけど、圧倒的にファム側に共感して視聴してた。何でかといえば得られる勝利が身の丈にあったものであって、まさに機転と努力がリアリティの全く無いようなものでもなかったからってのはある。実はあの勝利でミリアは成長してなくて、あの後もあいもかわらない世間知らずのお嬢ちゃまなんだけど、たゞやってることは目標に向かって一つ一つ積み重ねている姿であるからなんだろう。ミリアに焦点をあわせれば貴種流離譚で、その放浪の中で指導者としての資質を見につけていくという構造はあるだろう。でもなんだろうな。自分的にはあれはスタッフから視聴者に向けてのエールのような気がしてならないんだよ。
 トゥランは過去の日本のメタファーであるところが大きい*1んだが、先の大戦時、ドイツに大いに弾圧を受けたユダヤ人に1つの大きな課題が残っていた。それはヨーロッパのユダヤ人はほとんど無抵抗だったにも関わらず、ドイツには皆殺しにされかけ、かといって連合国軍には見殺しにされたというもの。喧嘩両成敗という言葉が日本にはあるが、例えばあの時ユダヤ人がドイツに抵抗をしてその抵抗の是非を問われるとかいったことは、無抵抗だったユダヤ人にはなかったわけだ。たゞ一方的な被害者だったに過ぎないユダヤ人が「ファシズムの横暴を許すな」という連合国に助けを求めても、ものゝ見事に見殺しにされたという経験があって、例えばその反省が生かされて建国以降のイスラエルの態度というものがある。大国に恫喝され、恭順を示し、国を売って爵位を得た貴族たちも、結局難癖つけられて皆殺しに遭うという場面がやはりエリダラーダのヴァンシップレースの回には描写されていて、結局のところ自分の身を守るのは自分自身というきわめて当たり前のことが示されてはいる。いや、もちろんミリアはそういう構造を知っていた上でツッパったわけではないんだが。他人が奪いに来るのなら、自身は武装でもなんなりとでもして守らなきゃならないってわけだ。
 しかし、今回は何度も見返すってほどでもなかった。もちろん話が面白くないというわけではないんだが、リリアーナの変節だとか、急造トゥラン軍の兵卒の程度の低さだとか、戦艦全部が裏切るとか、なんかシオシオな展開に脱力してしまったというか。いやなるほどシルヴィウスの一員として冒険大活劇!ってのをやるんだったら、そりゃ艦隊はご破算にするしかないワナ。まさかミリアが艦隊司令官でその脇をファム・ジゼルが固めるとかありえんわけで。あ゛〜、あとOPの最后らへんで出てきていた白装束の幼女がアルヴィスだったというのにも驚き。今回のビラの元ネタはきっと「万国の労働者よ、団結せよ!」のもじりなんだろうなとか色々ネタは尽きないんだけど、ダラダラ書きすぎた。やっぱ総集編を見なかったほうがなんか流れ的に良かったような気がしないでもない。

*1:今回を見るとたぶんリリアーナが敗戦後合衆国に国を売った現実の日本、ミリアが戦前軍国主義でなく、バランスの取れた国だったらという仮想の日本ってトコか