今話を視聴して、竹原が戦略的に町興しをやってるんだなという印象を受ける。そもそも「憧憬の路」というネーミングが狙ってるよな。作品中でも観光客で喫茶店もお好み焼き屋も満員という描写だった。正直この盛況振りが本当なのかどうなのか気になる。今話だと、あくまで物語を美しく彩るために観光客数は都合良く設定されているはずだ。もしかするともっと多くて人ごみと呼ぶのがふさわしいぐらいなのか。それとも地元の人が楽しむ程度でそれほど混雑していないのか。まぁ本当に混むと食い物屋なんて行列ができるもんな。でもそれだとぽって達が雨上がりを喫茶店で待つなんて話にはできないわけで、丁度いゝ按配にしとかないと物語にはならない。たゞなんとなくだけど、あまり人の出が多いと灯篭の文字を書く詰め所なんてのは即効無くなっちゃうだろうから、そうならない程度の人気なんだろうと思う。今だと既存アニメの聖地巡礼のデータが参考にできるから、アニオタの動員数なんてたかゞ知れているという見込みができるとは思う。
実は最近町興しというのではないけれども、過疎化した地方で聞き込み調査をしているという人に偶然話を聞く機会があって、要旨としてはやはり現地の人が自分たちで考えないとダメだというのがトレンドらしい。いちおう調査にはいっている人はそれなりの方法を知っているのだけれども、極力教えないというスタンスなのだそうだ。結局地元のことは地元の人が良く知っているわけであり、つながりのきっかけを作ればそれなりにアイデアは彼らから出てくるということだ。尚、イヴェントは役に立たないとのこと。
そういう前知識があったせいで、今回の話も竹原の人が竹原の魅力を発掘なり保存なりしていて、それをどう活用するかというのも彼らでやっているらしいという描写に見えたのだ。前にもあった竹祭かなんかでもあのガッコの先生がかおちゃんに手伝いをさせたり、今回もかおちゃんの父が運営に携わっていたわけで、その地に住んでいる人が彼らの判断で(やれ5時に中止にするしないを判断するとかリアリティがあるわな)運営している様子が窺える。
そんなこんなで、結局のところそこに住んでいる人が自力で町興しを考えねばならないという結論は、良く考えてみれば当たり前すぎてそれで地方分権なり町興しの話が全終了してしまうんだが、かといってすべての町に、その町特有の、それも他と比べて圧倒的に優位な差別化のできる魅力なんて発見できるのか?とか、それでもマクロ的に見て地域経済として成り立つのかなんていう視点はやはりあってなかなか難しい。
が、結局のところイヴェントにしたって、チェーン店詐欺のように開店資金を分捕るためにコンビニオーナーになりませんか?みたいな、町からイヴェント開催のためのカネを吸い取るだけ吸い取って観光客が集まろうと集まるまいと知りませんよ*1という商売にやられてしまうだけだ。まぁこのたまゆら方式だと、そもそもアニメは地方はあくまでロケ地でしかなく、別にかの地から金を吸い取るというわけでもなく、竹原にしたって知名度を上げるためにアニメを利用するって立場だろうから、それほどカネの奪い合いって要素は薄い。お互いが自立した存在でWin-Win(あくまでうまくいけばWinになるというだけの話)の関係に近いんだろうな。自治体が企画を外部に発注するという他力本願では長続きしないし、毟られて仕舞いってことだろう。
いや、なんつーか、人任せでは何も解決しないどころか他者にいゝように喰いモノにされる*2ってのは、仕事でも生活でも実感するところであり、なかなかにして考え込まされるものがある。