くまみこ 第9話

 放映料、いくらだったんだろうな。
 こう、ミニコミ誌というか、ちょっとしたパンフレットの協賛に安ければ2〜3万とかだったような気がするが、テレヴィだと百万単位じゃなかろうか。いや、わからんけど。
 なんとも微妙な感じ。といってもどこかでみたようなエピソードではあるが、いろいろ考えさせられることが多くて、ある意味要素をいろいろ突っ込んでみましたってところなのかな。
 どうしても良夫視点で考えてしまうんだが、まづ、放映料として村がカネを払わなくてはならないのに、なぜコマーシャルというネタを拾ってきたんだろう?ということ。今までの経緯を見る限り、良夫は勘所をわかっていないんだけども、村興し自体は真剣に考えているようで、上司あたりは村興しはアリバイ的にやってくれたらよいのであって別に真剣に取り組まなくても良いという態度だったはず。もしかして村興しについて自助努力をしない地方公共団体には地方交付金が予算として下りないとかそんなのがあって、でも別に本当に村興しの実績が得られなくても取り組んでいさえすればよいのかもしれず、いや、別に地方交付金の脅しはなくて形ばかりでもやっとかないと体裁が悪い程度のものかも知れず…というのかもしれない。でも、良夫は違うわけだ。
 で、よく考えてみると30秒程度のコマーシャルで本当に名産品が売れると彼が思っていたのか?というと、それは違うんじゃないかと思うのである。今やどのローカル局でも県内の町や村をめぐって名産品だの名所を紹介する番組はあると思うが、それでその地の村興しが成功したなんて例はついぞ見かけない。せいぜいその番組を見た視聴者の一部が一過性の興味で訪れるなりためしに名産品を買うことがあるだろうが、そのきっかけを上手く利用してリピーターを数多く確保したなんて例は極小。ほんでもってコマーシャルの出来がよくても成功するかどうかわからないぐらいのことは良夫にはわかっていたはず。それをなんでカネを払ってまでコマーシャルを作ろうとしたのか。
 で、その答えというわけではないが、良夫が何をやったのかを端的に述べると、要するに村人を集めてわいわいやったゞけのこと。コマーシャル製作を通じて村人自身が盛り上がることをやったと見るしかない。で、こゝでカネを払うということに思い至るのだが、放映に必要なカネは、例えば村興しの振興として税金を利用したのではなく、原資はあくまで村民から出たということ。村人が盛り上がるのに村人のカネ(使うほうと出すほうが微妙に重なってないが)を使ったのなら別に他人がどうこういう問題ではないということになる。そしてそういう結末にしたというだけの話なんだろうが、このどたばた騒ぎを通じて、別に村人たちが特にコマーシャルによって村興しができていなくても誰も文句を言ってないということが割とらしいといえばらしい。これが目標管理された業務みたいな形になると、なんで目標を達成できなかったのだ?ということになる。なかなか難しいところだが、良夫も編集の段階でこのコマーシャルがうまくいくとは思ってなかったろうし、なにより彼が気にしていたのは「みんな怒るだろうな」ということ。ホント成果を彼自身期待してない。で、コマーシャルを見終った後の村人も大概のことは察したのだと思う。響の持ってきた金策であるところの時計眼鏡店がスポンサーというのは、響が誰が小金を溜め込んでいるのか知っているのなら、それより年長のものは大抵知っているはず。そして素人が作ったコマーシャル程度で村外に影響を及ぼせないことは良夫だけでなく、おそらく村民もわかっているはず。
 だから、彼のやったことは村外に対する影響力ではなくって、村内に対するものだというのが考えられる。村興しをやるにしても役場が税金を使って村民が関わらない方向でやるのでもなく、他所から制作会社を呼んで村のカネを持ち出させるわけでもなく、やり方は陳腐であっても成果がでなくても村民自体が村興しに主体的に関わったという形を作るということ。で、それを村民がいやいや取り組むのではなく楽しんでやるということ。そう考えると村外に対する影響力は皆無に近いが、成果がなかったというわけではない。冷静に考えると無駄ガネ使ったゞけじゃんだとか、結局のところ内輪受けに過ぎないじゃんだとか言うのはたやすい。が、限界集落への道をまっしぐらの村では、村民同士のつながりを考えることすら困難というところもあるだろう。村の特産品を村人自身が利用しないとか、村の名所を村人自身が楽しむことができないとかだったら、そんなもので他所に売り込むことは所詮ムリなんじゃね?というのは前回自分が述べた視点だが、村での生活を村人自身が楽しめなくてどうするってところもあるだろう。とはいえそれだけに留まっていては人は呼べない。呼べないんだけど、では熊出村以外にも村興しをやってる村はあって、そこの村興しが魅力的だったからといって熊出村を捨ててそこへ移住しますか?、熊出村の特産品を村民が利用しているとして、村外の特産品が魅力的に感じたとして優先的に購入しますか?と考えると、やはり所詮人とモノとの取り合いという構造になってしまうわけで、やはり個人とか、一公共団体の努力で何とかなる問題ではそもそもないってのがあるんだと思う。
 この回を視聴して、そういう構造まで読み取るのは困難だしそのことをそもそも描写しているのか?と言われると違うと思うんだけど、少なくとも「はたして登場人物のうち村興しがうまくいくと思っているのがたった一人でもいるのか?」という補助線を引くと、陳腐なコマーシャルを見て村民がそれなりに喜んで幕引きってのはそれなりの落としどころなのだろうという気はした。